BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

トマソン郡の橋

2008年10月23日 | その他
 虹のような半円で大きな曲線階段を乗せたこの橋を、
〔 トマソン郡の橋 〕と呼んだら怒られるだろうか。ともかく
上って下りて,橋の端から端までの移動に、さしたる実利はない。
だが、若い女性がアーチのほぼ頂上で一心に筆を取るという状況と、アタシが
それを発見したということでは意味がある。 小さなノートへの風景スケッチ
なのか、自分あるいは誰か宛の心象メモなのか、遠目からではよく判らなかった。いくらなんでも近づいて覗くほどアタシは野暮じゃない。
 以前かいた「あれはなにを」と同じ橋で、二人とも誰かになにかを伝えたいと
いう意味において同じだろう。けれども、すがりつくように握り締めた携帯電話と、ノートになにかを書くという行為は同じとは思えない。一方では、伝わらな
いことの絶望を予感し、一方では伝わることの希望を感じるのだ。
それが傍目で判るのは、なぜなんだろう。