BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

ア シ タ

2008年11月29日 | その他
 あるひとが1967年10月9日 亡くなっている。
ある国で生まれ、ある国で成し、ある国で死んだ。
おぼろげながら、新聞記事に出ていた事を記憶している。
その人のことを10月に書こうと思いつつ、忘れていた。
だから来年の10月9日に、その人のことを改めて書きます。
この人のことをアタシがまた忘れることは、よもやないと思うが・・・。

 実は、アタシがアタシとブログで云うのは、一寸したワケがある。
つまり、タとシを入れ替えると直ぐに〔アシタ〕になる。
ゆえにアシタ(明日)につながり、「明日のジョー」ならぬ「明日のビーン」に
成ると思う身体(からだ)。(笑) ムムムー 冗談にも程がある、って?
みたいな。

場と金額

2008年11月27日 | その他
 過日七、八十万冊の在庫数という紀伊国屋書店に寄った。
お上品なその並びは、読みたいのがしこたまある。
あの膨大な書籍群を眺めていると、自分の読書量の少なさに
愕然とさせられる。アタシだって時に新刊を読みたいものだが、手がだせない。
百円コーナーという場と金額に慣れすぎた為か。(笑)もし宝クジにでも当たっ
たら、買い物ワゴンに片っ端から写真集でも高い本でも手当たり次第にブチ込ん
でみたい。考えてみると人の一生にどれ程の書物が必要なのだろうか。学者さん
などは別として、果たして何冊か。
 文芸評論家のヤスケン氏は、好きで気に入った同じ本を、三冊揃えたという。
一冊は自分の読書用、一冊は保存用、一冊は他人へのプレゼント用。
そして月に200~300冊は目を通したというから、プロは凄い。
彼は生涯、秋の落ち葉のごとく大量の本に埋もれた。ウムムだ。

 郁

2008年11月25日 | 時と事
 懐かしい昭和が匂う小路には
 幾日か前に降った雪が夜に凍っていた
 ポツポツと点いた看板の下には 人影はないが
 かの日には幾人もが去来した気配がある
 海に働く男たちか 果実を捥ぎ取る女たちなのか
 その末裔も声は荒く大きい

 たとえば何と何を交換して人は生きるのか
 魚は金か 葡萄は恋か 男は腕か 女は顔か
 アテのない話が繰り返され 月影は消えていく
 余市町の場末にある 郁(かおる)という酒場

おや、まあ

2008年11月22日 | 古本
 いまから30年前、「読んだ?」と話題にした。
中学時代の同級生に会って、酒を飲みながら聞くと
「読んだわー」と言うから、少し好きになった。
同じ世界観を持っている、と嬉しくなったが、それは誤解に過ぎた。(笑)
昭和53年9月(1978年)で11刷(初版は同年6月)だから、当時は相当
数のベストセラーだったと思う。それだけにいま何処の古本屋さんにも、必ずと
言っていいほど1冊は棚にある。
 18才の 中沢 けい さんは「海を感じる時」で鮮烈なデビューだった。それが
群像新人賞受賞作で、その分次を期待した。しかし、その後の書店通いのアタシ
に、中沢さんの著作は目に止まらなかった。勿論書いてはいたのだし、講談社・
野間文芸新人賞も受賞している。だが「海をー」以後、全体としてパッとしない。
「親、まあ」などとミもフタもないタイトルと内容では、読んだけど、読む気が
しない。こうなると十代後半でのデビューは、そう良いとも云えないのだろうか。(太田治子さんの例もあるし)ならば齢を重ねた年代の新人デビューはどうなのか。多分力量はどうあれ、先の短い書き手に賞を与えるハズもないが。
 ただ、森 敦さんの例はある。森さんは「 月 山 」で芥川賞を受賞(1974年)したが、そのとき62才の最年長受賞記録だ。するとアタシにだってあと十年の(?)猶予があるではないか。ウムーです。(笑)

 「海を感じる時」 著者 中沢 けい  講談社  定価680円
  ( 昭和53年9月18日 第11刷発行 )
 「親、まあ」 著者 中沢 けい 河出書房新社 定価1600円(税込み)
  ( 1994年1月10日 初版発行 )


夢のはぐれ島

2008年11月21日 | 古本
 シーナさんの本は無尽蔵に湧いてくる。
1日1冊読んでも、きっと1年はもつだろうか。
そしてちっとも懐が痛まないのが、アタシ向きと言える。
 小さな無人島に近い人口で、平和で静かに、夕日など見ながら酒をのんで暮ら
すなどは夢のようなハナシだ。ついでに貧乏でもしごく健康な身体でさ。(笑)
シーナさんは日本の北から南まで、そんな島を探訪し、実際大いに酒を飲んだ。
南の島ならどうやったって最低限の暮らしは出来そうだが、北の島はそう容易で
はない。冬の雪や年間8ヶ月以上の寒さをどうしのぐかだ。まぁ、身体の脂肪を
燃やして暖をとり、頭を働かせてカーッとさせ あったまるしかない。
南の島でボーッとして暮らすか、北の島でカーッとして暮らすか ボーッ カーッ
の究極の選択だ。シーナさんは北方面は北海道の天売島、あとはすべて南の島へ
行った。やはり〔夢のむこうのかくれ島〕は南にあるようだ。(笑)

 「波のむこうのかくれ島」 新潮社 定価1500円+税
  ( 2001年5月30日発行  写真 垂見 健吾 )
 「草の海 モンゴル奥地への旅」 集英社 定価1300円 
  ( 1992年1月25日 第1刷発行 )
 「犬の系譜」  講談社  定価1200円E 
  ( 昭和63年2月20日  第2刷発行 )
 「まわれ映写機」 幻冬舎  定価1500円+税
  ( 2003年11月30日 第1刷発行 )※いずれも著者は 椎名 誠

ウ ナ ギ

2008年11月18日 | その他
 もし長い廊下を堰き止めたら、あんな部屋になるだろうか。
まさしくウナギの寝床と言うべきだろう。その半分を住居、
半分を事務所にして〔I〕さんは見事に立ち直りをみせた。
これは「ウナギ社長」として甦ったのであり、日本の首相みたいに、簡単に辞め
る訳にもいかないし、負ける訳にもいかない。
 部屋を気分的に二つに分けたのがカーテンだ。だがニトリの布地カーテンは三
千円以上で、そんなに予算が無い。躊躇し悩んでホーマックに行くと、ある物が
目に付いた。シャワーカーテンだ。これなら590円で手に入る。部屋の間仕切
り用、とも書いてあった。大方の庶民は涙ぐましくて、包容力が過剰なのだ。
 しかし取り付けてみるとやっぱりなんだか妙で、まるで病院のベットからみる
仕切り用カーテンか、診察室の隠しカーテンそのものだという。だから、事務所
訪問者には全員服を脱いでもらい、診察すると〔I〕さんはイキまく。(笑)
アタシはその話しを聞いて、涙ながらに死ぬほど笑った。これはもうパンツまで
脱がされそうだから、アタシは引越日の手伝い以来、怖くて行くことを遠慮して
いるのだ。(笑)

くぐもった空

2008年11月17日 | 古本
 年に何回か、国道36号線を室蘭まで走る。
途中の白老あたりの海岸沿いでは、この町に住む病に痛んだ
姉夫婦のことを想うのだが、いかんともしがたい。
雨の多いこのあたりはいつもくぐもった曇に覆われ、小林政広監督がこの町をロケ地に使う映画のように気分が重い。(笑)
 以前この題名を聞いたとき、これはきっと深い意味のタイトルなのだろうと考
えた。読んでみると特別な事ではなく「猛スピードで母は」車を運転したという
そういう事実を言ったのだと分り、少々ガッカリした。その芥川受賞作は白老が
モデル地のはずで、確か薄くて小さな単行本だったが、いま何処を探しても見当
たらない。探すと無いのはいつも不思議だ。
 長嶋 有さんの小説には、いつも親兄弟のことが出てくるとみた。そして父親
はすでに亡くなっているか、母と離婚しているか、病気でマズイ時期か、母親も
それに近い。兄弟は姉が一人で主人公はその妹、男は弟一人というケースが多い。
(勿論それ以外もあるが)自分も他の登場人物も、それほど詳しく描かれるワケ
でもなく、悶絶する葛藤や過酷な情況でもない。関係性はベタベタせず、静かに
言い淀んで受け入れるのだ。
 淡々としていて、そこがなんともカワイイと言えばカワイイ。

「タンノイのエジンバラ」 著者 長嶋 有  文芸春秋 定価1333円+税
  ( 2002年12月10日 第1刷発行 )
 ※表題の他に「夜のあぐら」「バルセロナの印象」「三十歳」の3編が所収

歴 代

2008年11月15日 | テレビ
 革ジャンで厚着し、その上から筆先で触れられても、かゆい
背中に届かない。彼のコメントはそんなコトに似ている。
古館氏からなにをふられても煮え切らない生返事でキレがない。
だいたいなぜあの人選なのか、テレビ朝日も朝日新聞も人材不足で単なる埋め草なのか。最近交代した報道ステーションの「AERA」元編集長 一色 清氏の事だ。
ただボーッとして座っているだけなら、アツ苦しい唇だろう。以前の加藤氏もヒドイと思ったが、その上を行っている。
歴代のあの席に座る人が、代わるほどダメになってきたのは、何故だ。
オレでよければ、いつでも代わるぜ。 ッたく。(笑)

情況証拠

2008年11月13日 | 古本
 アメリカ人はこういう作品を好むのだろうか。
規模は分らないがベストセラーになったという。
映画もこの小説もいかにもアメリカ的すぎて、
431ページは長い。この話しなら半分位の長さにしてくれないか。
 妻を交通事故で亡くした男と、夫に浮気されて離婚した女が出会い 愛し合う,
その様の情況証拠調書を小説に仕立てて解き明かしてくれる。そこにケチを付け
てもしょうがないし、ハイそうですかという他は無い。
そして映画も小説もラストはチョッピリ泣かせてくれるのだから、始末に負えな
いのさこれが。(笑) ウム、ウムー。

「メッセージ イン ア ボトル」著者 ニコラス・スパークス 訳者 大野晶子
(ソニー・マガジンズ 定価1400円+税 1999年4月1日 第4刷発行)

三秒か三分で

2008年11月10日 | 古本
 もしそれが、偶然のすれ違いざまによる出会いなら三秒で、
もしそれが、あらかじめ約束された上での出会いなら三分で、
二十才を過ぎたら男も女も、その瞬間で人を見極める眼力を
持って判断して欲しい。その訓練と知恵のために人は学校で学び、試練にあたり、
二十年という年月の猶予を与えられている。彼女は偶然に出会い、数度の約束を
重ね、別れる判断を下すまでに三ヶ月を要し、刺殺されるという最悪の事態に至
った。勿論被害者に責任はなく、加害者に百パーセントの非がある。だが彼女に
落度がなかったかといえば、ゼロパーセントとは言えない気がする。つまり声を
かけられてから三ヶ月のあいだに何度かの逢瀬を重ね、沖縄旅行まで行ってしま
った。三分は無理としても、一度目のデートで邪悪な男の目を見抜くことは出来
なかっただろうか。その甘さが重大な結果を招いたと考えるのは、厳し過ぎるの
だろうか。

 そしてもう一つの決定的な要因は、警察ないし警察官は市民の生命安全や自由
を守ってくれるものだという誤解が、彼女とその家族にあった。警察権力が時に
冤罪をデッチ上げたり、時に社会正義など一顧だにしないことは、過去の歴史が
証明している。平和に暮らしていた家族は、警察権力の恐ろしさを知らなかった
ことが、二重三重の悲劇をもたらせた。

 埼玉県警上尾署は、ストーカー被害を必死に訴える一人の女子学生とその家族
の相談を無視、怠慢な対応で訴えをズラし、その後に出した告訴状さえ事件後に
組織的な改ざんを行った。
 彼らにおける仕事や正義とは、自己保身や出世欲を満たされるか、又は所属す
る直接の組織が痛まない範囲でのみ発揮される。その事が偶然にも犯罪の防止
や犯人の検挙にたまたまつながるだけの事だ。(例外があるとしても)
そしてマスメディアもその企てに無縁ではない。警察からの恣意的な情報をなん
の検証をすることもなく報道し、権力の思惑に加担する。
 つまり国家権力や軍隊や警察などは、そもそもがそおいう組織構造になってい
るというだけの、単純な話しなのだ。そしていつも力の弱い子供や老人と女性が
災害や事件の犠牲になる。しかしまた、その事を生み出すのも子供や老人や女性
であり、大人の男なのだ。誰も免罪されない。人は愚かで、あまりにも悲しい。

 「桶川女子大生ストーカー殺人事件」 著者 鳥越俊太郎&取材班
  ( メディアファクトリー 定価1500円+税 2000年10月26日
                          初版第1刷発行 )
 「虚 誕」 著者 鳥越 俊太郎・小林 ゆうこ  岩波書店
  ( 定価1800円+税 2002年11月22日 第1刷発行 )