BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

あれはなにを

2008年10月03日 | その他
 札幌の中心部を流れる川の、その橋のたもとでのことだった。
川面に映る逆光、自転車やジョギングで通る人の長い影を狙って
いた。小刻みにポジションを移動し近辺の様子を窺がっていた。
すると川沿いにある護岸用階段に、一人の女性(多分40歳前後)が膝を抱え、
狭い場所に座ったような形で、ぽつねんとして居ることに気がついた。よくよく
みると右手は携帯電話を持ち、話し中らしい。ほかに持物はなく、まるで宅急便
の配達を玄関先で受け取った時のような服装。全身は押し留められていて、僅か
に口元だけが動き、表情は深刻そうだ。
 どんな話しの内容にせよ、人は少しは自然に身体が動き、相手には見えない身
振りをも伝えたい意図に込める。がその人は身を堅めて周りにバリアを発生させ、
それ以上の何ものをも拒んでいた。

 橋の上は半円のアーチ状階段になっていて、人もそこを通ることが出来る。
しかし夕方のその時間に、わざわざトマソン風階段の上り下りをする人はいない。
心なし俯き、足早に平らな歩行帯を通行して行く。

 彼女はそのままに、居た。みると先程の形からは右手だけが下に降り、アニメ
原画なら二枚で済むだろうか。電話が終わっても表情と姿勢に変化はなかった。
空にシルエット気味になってきたビル群と橋を絡めたアングルは、彼女の座って
いる辺りだ。彼女はそれを察しのか静かに立ち上がり、向きを変え、階段を平行
に歩いて遠ざかって行った。離れた後姿でも、その表情がよみとれた。

 彼女が誰かに何かを伝えようとしていた事情は、様々に想像がつく。またそこ
に居たときに電話がきたのではなく、そこに来て彼女から電話したことは察しが
つく。 しかし解らないのは何故このような場所で、長電話をする必要があった
のかだ。他人に聞かれずに話しが出来る空間なら、わざわざこんな処でなくても
いいと思うのだ。そこがどうにも分らない。
 小さな百グラムほどの通話が出来る機械。それになにかを懸け すがるように
握り締めていたあの人は、誰と、どんな世間とつながり、どんな世界を求めて
いたのだろうか・・・。