今年の便りで嬉しかったのは、元同僚 E氏の次の一文だ。
四月の春めいた日に届いた、独立しましたという挨拶状だった。
なんだか自分の事のように誇らしく、感動もした。
当ブログにて紹介することを、E氏が許してくれることを信じて引用します。
『最初の10年は、掲げられたバー越えることだけを目指していました。でき
るだけ高く、できれば速く、美しく、華麗に。その次の10年はただ跳ぶことよ
りも、どんな風に越えられるのかを考えました。そして与えられたバーを新しい
場所にかけてみました。その中でたくさんのことを学んだ気がします。そんな経
験に恵まれ続けてきたのも、本当に多くの方々に育てられ、助けられ、大きな力
に守られきたおかげでした。だからこそ、いつか自分でも些細ながらそういった
人たちの力になりたいと考えてきました。たとえばそれは作品というよりも仕事
として。そして身近な人を喜ばせることよりも見知らぬ誰かへ届けること。
今、映像を取りまく環境は大きな変革期にあります。その中で、かつて時代を切
り開いてきたプロフェッショナルたちはその役割を終えようとしています。果た
して彼らの役割は本当に終わったのでしょうか。自称マルチクリエーターという
妥協。耐震偽造、食品偽造となんら変わらない事がすでに表現の現場で行われて
いる現実。そんな時代でさえプロフェッショナリズムを貫こうとする人たちの力
になるために、今、ニューエッジは映像をデザインする(企む)という新しい原
点を定めリスタートします。映像のコミュニケーションにはまだまだ無限の可能
性があります。立ち止まることなくこれまで歩み続けてこれた誇りと、新しい世
代にこれからの役割を託す勇気と』
こういう文章には、アタシはすぐ感激するのだ。誰もが、組んでみたい相手と
して、またその彼の物事を読む目の確かさや、鋭さを想像するだろう。
早速お祝いのメールを、アタシは E氏に出した。
自分には断って、E氏には断らず ここにその一部分を―。
『経験を分析し、整理し、思慮された挨拶状の文章は、
あまたの凡百な映画やドラマより、心撃ちます。
解き放された矢のように飛び、漂い、着地する「志」がみてとれます。
表現者として作品か仕事か、ではなく、映像を企む「志」こそ重要だと
思うのは同感です。いわば映像を企むことはなにも映画監督や
CMデレィクターだけの仕事では無いはずで、
スタッフ一人一人の手の中にあるべきなのです。』
今年もとりあえずこの一年を無事に生きて過ごした。いまこの業界は未曾有の
不況に苛まれている。果たして来年はどんな一年になるのか。
また、どんな便りがきて、どんな便りをアタシが出せるのか。ウム―・・・。
四月の春めいた日に届いた、独立しましたという挨拶状だった。
なんだか自分の事のように誇らしく、感動もした。
当ブログにて紹介することを、E氏が許してくれることを信じて引用します。
『最初の10年は、掲げられたバー越えることだけを目指していました。でき
るだけ高く、できれば速く、美しく、華麗に。その次の10年はただ跳ぶことよ
りも、どんな風に越えられるのかを考えました。そして与えられたバーを新しい
場所にかけてみました。その中でたくさんのことを学んだ気がします。そんな経
験に恵まれ続けてきたのも、本当に多くの方々に育てられ、助けられ、大きな力
に守られきたおかげでした。だからこそ、いつか自分でも些細ながらそういった
人たちの力になりたいと考えてきました。たとえばそれは作品というよりも仕事
として。そして身近な人を喜ばせることよりも見知らぬ誰かへ届けること。
今、映像を取りまく環境は大きな変革期にあります。その中で、かつて時代を切
り開いてきたプロフェッショナルたちはその役割を終えようとしています。果た
して彼らの役割は本当に終わったのでしょうか。自称マルチクリエーターという
妥協。耐震偽造、食品偽造となんら変わらない事がすでに表現の現場で行われて
いる現実。そんな時代でさえプロフェッショナリズムを貫こうとする人たちの力
になるために、今、ニューエッジは映像をデザインする(企む)という新しい原
点を定めリスタートします。映像のコミュニケーションにはまだまだ無限の可能
性があります。立ち止まることなくこれまで歩み続けてこれた誇りと、新しい世
代にこれからの役割を託す勇気と』
こういう文章には、アタシはすぐ感激するのだ。誰もが、組んでみたい相手と
して、またその彼の物事を読む目の確かさや、鋭さを想像するだろう。
早速お祝いのメールを、アタシは E氏に出した。
自分には断って、E氏には断らず ここにその一部分を―。
『経験を分析し、整理し、思慮された挨拶状の文章は、
あまたの凡百な映画やドラマより、心撃ちます。
解き放された矢のように飛び、漂い、着地する「志」がみてとれます。
表現者として作品か仕事か、ではなく、映像を企む「志」こそ重要だと
思うのは同感です。いわば映像を企むことはなにも映画監督や
CMデレィクターだけの仕事では無いはずで、
スタッフ一人一人の手の中にあるべきなのです。』
今年もとりあえずこの一年を無事に生きて過ごした。いまこの業界は未曾有の
不況に苛まれている。果たして来年はどんな一年になるのか。
また、どんな便りがきて、どんな便りをアタシが出せるのか。ウム―・・・。