BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

附 子

2010年11月29日 | 古本
 〔附子〕(ぶす)と読むらしい。たまたまみに行った手話狂言(主催 北電・
北海道ろうあ連盟)の演目にあった。
〔附子〕とはトリカブトことを言うそうで、その草の根を摩り下ろすと猛毒で恐ろ
しい劇薬だ。上野 正彦さんの「毒殺」を読むと実際の事件のことが書いてあり、
その日の関連のない行為が、演目タイトル〔附子〕でつながった奇妙な日だ。
(狂言のほうは勿論人が死ぬこともなく、笑いで終わる)
 上野さんの著作は図書館で借りるにかぎる。もし上野さんの〔死体シリーズ〕が
自分の本棚に何十冊もあったら、恐らく何かあれば証拠〔ブツ〕として押さえられる
だろうからね。なにかヤバそうな本は借りるにかぎる(笑)。が、もっともレンタル
DVDや借り本は、何かあれば全部調べられると考えていた方がいい。
 まぁ、そんなことでアタシは怯まないがね。好きに見たり読んだりは当然。(笑)

 「毒 殺」 著者 上野 正彦  角川書店  定価1300円+税
  ( 平成11年4月25日 初版発行 )
 「日本の死体 韓国の屍体」 著者 上野 正彦 文 國鎮(ムーン ゴクヂン)
  ( 2002年6月10日 第1刷 )
 ※当然だが、日本と韓国では死体や解剖に対する考え捉え方が随分違うようだ。

派手ケバ

2010年11月25日 | 古本
 本を手に入れると何かこう、舐め回すようなことが出来るのが嬉しくて楽しい。
それは新刊でも古本でもどんな本でも同じだ。まず、帯のオモテとウラを見てから
エイヤッ!とばかりに素早くハガし(付いていればだが。なにしろ帯のことを
腰巻きと書籍業界はいうらしいしな。)帯の外れたカバーのデザインを吟味する。
そして更にカバーを脱がせ、しおりを確かめ、奥付けを見て発行年月日と版数など
の確認が先だ。その後に〔あとがきが〕あればそれを先に、あとは〔まえがき〕と
なる。そんなゼンギを経ておもむろに目次から本文へとススム。つまり本を立体的
にも楽しみ、さらにそれが探し本や均一本であったりすると喜びは倍増だ。(笑)
こんなことを電子書籍になったら楽しめないのが悲しい。

 美奈子嬢のカバーを剥ぎ取るとまぁ、あらら・・・だ。
それは美人の顔をかくした下着姿のようで、派手ケバイ。こちらが赤面するほど
アタシも若くはないが。
 しかし中味はなかなか堂々とした書きようで、名だたる文豪も大作家もするどく
分析、解析、開陳となる。過去の大家の「文章読本」など、読む必要もないほどの
ゼッポウだ。で、一度その美人ぶりを見てみたいのだが、メディアに顔を出さない
のが美奈子嬢さんとしての謙虚なところというべきか。

 「文章読本さん江」 著者 斉藤 美奈子  筑摩書房 定価1700円+税
  ( 2002年5月15日 初版第4刷発行 )

ウンチク

2010年11月24日 | 古本
 ちょいとばかり仕事をしていたので、ブログが留守になってしまった。かって
激しく仕事をしていた時代とはこんなものであったことを思い起こさせる。当然
ながら読書量は減って、夜ねる前に少しづつだ。その一冊がこれ。
 しかし、かっぱさん〔トイレ〕はないだろう。タイトルはせめて「ご不浄曼荼羅」
くらいにはシャレて欲しかった。タイトルに軟弱な言葉の置き換えは面白くない。
 やっぱりそこの構造的な話しよりは、あらゆるところで〔した〕という話しが
断然面白い。各界各人の手洗い場所がどうだろうと、広いか狭いか、清潔風かそう
でもないか、豪華か普通か、なくらいのことだ。
 便所だけの〔ウンチク〕なんて・・・。

 「トイレまんだら」 著者 妹尾 河童  文藝春秋 定価1500円
  ( 1992年10月30日 第10版 )

小 説

2010年11月17日 | 古本
 わが古本屋あさりも基本は文庫が中心になってきた。どれだけ店の棚に単行が並
んであっても、興味の持てないのは手にしない。だけど2年前の芥川賞がはや均一
にあったら、女性のものでもやっぱり手にしてしまう。最近の若いネエチャン芥川
賞は読まないことにしていてもだ。そして何度も思い知らされる。なんでこんなに
雑な内容・構成と文章で受賞なのかと。
 「時が滲む朝」 著者 楊 逸(ヤン・イー) 文藝春秋 定価1238円+税
  ( 2008年8月15日 第4刷発行  第139回芥川賞受賞作 )
 ※読むとはや均一に降りてきた理由が分かる。

 「人は地上にあり」 著者 出久根 達郎  文春文庫 定価590円+税
  ( 2002年9月10日 第1刷 )
 ※出久根さんの文章は日本語がとても丁寧で綺麗。 で、出久根さんがいう。
  P-222 <吉本ばなな『ハネムーン』(中央公論社)を読んだ。この作者
  のものは何冊か読んでいるが、相変らずこの人の良さがわからない。
   小説を読む楽しみや満足感が、ない。語られる内容が、あまりにも幼い。
  場面作りが安易であり、文章も無造作にすぎる。> アタシも同感です。

 「ふつうの医者たち」 著者 南木 桂士  文春文庫 定価476円+税
  ( 2003年2月10日 第1刷 )
 ※5人のそれぞれに生きる医者との対談。

 「トコロテンの夏」 著者 沢野 ひとし 角川書店 定価470円
  ( 平成6年4月25日 初版発行 )
 ※沢野さんは読み物書きとしても、なかなかやるのだ。

 「風のまつり」 著者 椎名 誠  講談社文庫  定価590円+税
  ( 2007年6月15日 第1刷発行 )
 ※シーナさんは小説家なのだと気付くのです。

 

は て ?

2010年11月13日 | 古本
 中沢 けいさんの文章は読解力より記憶力が必要とされるくらい、句点から句点
までが長い。それが随所にあって、たとえばP-40ページはこんな具合だ。
 <和泉晶子がレッスンに通っていたピアノ教師の家の庭が幾らか似ていて、もっ
とも向こう方は三倍くらい広く、敷地内に離れ離れに三軒も家が建っているうえに
庭の真ん中に自動車が楽に通れる道がある代々郵便局長を務めてきた家なのだが、
としより二人が丹精した庭に花のない時はなく、房州の土地になじんだ夏みかんや
枇杷はたわわに実り、屋敷回りは赤いやぶ椿の太い樹が囲んでいた。>
 こんな具合で句点の終わりころには頭の言葉や主語も述語も忘れてしまうのさ。
「海を感じる時」(1978年刊)でデビューした当時は、いわば著者と読者に
は同年代という等身大のテーマとか共感が在ったのだと思う。ところがこの作品
「水平線上にて」は1985年、25年前の作品にしてもなお主人公は高校生だ。
そして問題は、高校生が主人公であっても、多分、高校生には読まれないだろうな
とアタシは思うのだ。つまりなにか面倒で、言い回しが屈折しすぎで捕らえ方が
古い。それでおわりの223ページを読み終えたとき、はて?これ何を書いていた
んだっけ?と健忘症のアタシは面食らう。
 アタシ中沢 けいさん好きなんだけどさ・・・。

 「水平線上にて」 著者 中沢 けい  講談社  定価980円
  ( 1985年4月20日 第1刷発行 )

廃 線

2010年11月08日 | 古本
 かって北海道の鉄道網は、馬車鉄道や簡易軽便軌道も含めてまるで人体の血管の
ごとく張り巡らされていた。今の道内の国道網くらいには在った。それが1970
年から80年代にかけてことごとく廃線となってしまった。石炭産業が斜陽になり
山奥の木材や海岸で獲れた魚たちは自動車輸送にとって替わられた。そして人は
個別な車で移動する時代になり、生産物も減少した。
 アタシの十代半ばからは、移動はすべて汽車だった。東京へは青函連絡船で何回
も乗った。そして道内道外各地にフトン袋ひとつを鉄道駅のチッキで送り、先の駅
で受け取った。今はもうチッキが死語になってしまったが。(あの時代はほとんど
の駅には駅員がいて、なぜかチッキの係員たちはどの駅も態度が横柄だったことも
思い出す。笑)
 今年の12月、新幹線が新青森まで開通営業となる。そしていずれ函館と札幌
まで延伸開通するだろう。その時、小樽から函館までの現在の函館本線は廃止廃線
となるだろう。そのことを沿線の住民や自治体の首長はどう考えているのだろう。
そのことを新幹線の延伸誘致にご熱心な上田札幌市長はどう考えているのだろう。
北海道は札幌だけが発展すればいいの? 上田さん!(笑)

 「北海道の大地をゆく-廃線の旅-」 著者 山谷 正  愛育社 
  ( 定価1600円+税 2004年6月1日 初版第1刷発行 )
 「北海道 鉄道跡を紀行する」 「続 北海道 鉄道跡を紀行する」
  著者 堀 淳一  北海道新聞社 定価1600円と1700円+税
  ( 1991年6月17日 と 1999年9月30日 1刷発行 )

ひ と 夜

2010年11月05日 | 古本
 アタシらは20人ばかり、スタジオの中でザワザワと仕事の準備をしていた。
そこえしばらく音沙汰の無かった〔女〕がヨロヨロと歩いてきて倒れた。みると
いつの間に身体は子供のように小さくなっていて、痩せこけていた。手は、中空で
物を捕り損ねた鳥の足のように丸まって、血の気も無く白く小さく、死人のように
冷たかった。アタシはその〔女〕の手を取り一指づつ開かせ、直前に読んでいた
藤沢 周平の短篇「賽子無宿」のラストシーンにあった、ある似たセリフをみんなの
前ではっきりと云った。しかし〔女〕からの反応は無かった。もうどこか遠い世界
へ行っているのか、アタシは焦った。

 朝まではっきりと覚えている、久々の夢だった。読んだ本のある特定のシーンと
自分がみた夢遊の中で、混同していたようだ。夢と重なったのは以下のところ。
 
 ※ 藤沢 修平「賽子無宿」(さいころむしゅく)より
 <お勢は悪寒で歯の根も合わない喜之助を温めるために、ひと夜裸で男を抱き
  つづけたのだと言った。
   そう言ったのは、次の夜喜之助に抱かれたときである。
  ―でも義理を作ったなどと思わないで。忘れてもらっていいの。>

 沢木 耕太郎さんが選集した〔右か、左か〕というテーマの13人の短篇集。
普段 単行を買ってまでは読まない作家さんと出会えるのは楽しい。

 沢木 耕太郎編「右か、左か」(日本文学秀作選) 文春文庫 定価648円+税
  ( 2010年1月10日 第1刷 )

 「知的な痴的な教養講座」 著者 開高 健  集英社文庫 定価533円+税
  ( 2006年3月7日 第21刷 )
  ※痴的な話しが沢山で、知的になる一冊の文庫。