BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

機材引越

2015年09月13日 | その他
 いよいよ明日14日は機材の引越です。
 きっとこの機材達は二度とこの部屋には戻らないだろう。
 そう、出戻りは許されないのだ。
 この愛すべきアナログ機材にはこのあとも幸運であって欲しい。

 今月内には「登別映像機材博物館」という名のHPが立ち上がります。
 (もうシゲさんという名のダチが作ってくれているのですが)
 そこでは 『BIN山本の「カンチョー日記」』という新日記を書きます。
 どうぞそちらもご愛読して下さい。
 そしてここにもたまには書きますです。

廃 業

2015年09月01日 | その他
 その店には30年くらいは通い続けた。と言っても年に3回か4回、長くなったら「短く
してください」とそれ以外の注文はなくアタシ目をつぶった。土木か建築関係の仕事と思っ
ていたらしく、とても本業を言えそうになかった。「あれ今日は休みかい」などとオヤジさ
んは声をかけてきたが、アタシは短く「ええ、まあ・・・」と返えしていた。
 ハサミをもういいでしょうと思うくらいの時間をかける。そのあとはオカミさんが顔ソリ
を担当する。その時の耳掃除がとても丁寧で気持ちがいい。それが楽しみだったのだ。
 どちらが欠けても店を続けることになっていると、夫婦が声を揃えて云っていた。

 この春に行くと、「小檜山 博」さんの色紙が置いてあった。聴くと小檜山さんとは同郷
の先輩で小中学校も同じで家も近かったのだと言う。近いと言っても山村のこと、数キロ
はあったと思うが。先日小檜山さんのパーテイがあって、その際に書いてもらったのだと
言う。
 丁度その春に「小檜山 博の文学」展が道立文学館で開催されていた。ファンのアタシも
行く予定にしていた。行くと手書きの昔の点在する農家の地図があり、小檜山さんと旧姓
のオカミさんの家が確かに載っていいるのを見つけた。

 そんなこともあったのでこの7月、報告がてら長くなった髪を切りに行くと、張り紙があ
った。「閉店します」と。オヤジさんの字で、38年間店を続けられたのは誇りだとも。
その数日前に行ったときは先客が多くて、出直すことにしていた矢先だった。看板や理容の
サインポールも外されていた。

 オヤジさんとオカミさんには、とうとう名も名乗らずに生業も云わなかった。髪を切って
登別へ移り、博物館を開設することもあの夫婦が知らないのは勿論だ。
 住所は元店舗の表に表記されていた。長年お世話になったお礼と、いまこうしている事情
を書いた手紙を投函するつもりだが、さてアタシの顔を思い出してくれるだろうか。病気な
どになっていないといいが・・・。ヘアーサロン石田、西区山の手に在った。