BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

はばかりながら

2017年11月12日 | 古本
著者は後藤 忠政となっているが構成・インタビューは西岡 研介氏の訊き書きだ。思い出すと「噂の眞相」で
記者をやっていて、のちに『「噂の眞相」トップ屋稼業」を書いた西岡氏だった。
後藤 忠政という興味深い極道の極み、ヤクザの伝記だが、なかなかに説得力のある読み物だ。人物がそうな
のか西岡氏の筆力なのか、そのどちらともいえる。後藤氏がヤクザを引退して得度し、高橋 伴明監督による
明らかな冤罪事件、袴田 巌さんを題材とした「BOX 袴田事件 命とは」を企画・製作したのだ。
得度しても男の掟と意地を通した人物、なかなかこんなひとはいない。
 「憚りながら」 著者 後藤 忠政  宝島社 定価1429円+税
  ( 2010年6月16日 第2版発行 )

原発問題は政治・経済問題に尽きる。日本の原発、その一歩がA級戦犯・正力 松太郎でそのあとを中曽根 康弘
が継いだ。世界の原発マフィアがその巨大な利権構造で世界と日本を喰いつぶす。全く暗澹たる気分になる。
その正力 松太郎を書いた佐野 眞一さんの「巨怪伝」からの引用がやけに多いが、一冊の本としての紙幅もある
ならこの本においてはそれも仕方ない。松太郎、日本テレビを創出し読売巨人軍を創出した。だから昔から巨人
は嫌いだと100ワットオバさんが言ったが、正解である(笑)
日本の懲りない面々が、再稼働だなどと言っているが、人間の制御できない科学を利権で動かしているのだ。
原発が核燃料の廃棄物や事故後の後始末をとっても、決して他より安い電力とはいえないのは明らか。小泉元
首相が原発に反対になったのには裏で何かあるに違いない。化石燃料利権?、素直には信じられないのさ。
 「黒い絆 ロスチャイルドと原発マフィア」 著者 鬼塚 英明  成甲書房 定価1700円+税
  ( 2011年5月30日 初版第1刷 )



おんなの一念

2017年11月04日 | 古本
小檜山さんの古い本が見つかった。いずれも切ないおんな達の短編が20篇。何処にでもある風景の
中にある、どうにもならないおんなの事情。おとこもおんなもひょっとしてこの中の物語と同じ立場
であってもおかしくないと思わせる。高度成長期に取り残された悲しくつらい女の生だ。
小檜山さんだから目につき書けた世界、それは愛しい天女とも言えるひとたち。
 「天女たち」 著者 小檜山 博  河出書房新社 定価1236円
  ( 1985年1月25日 初版発行 )

名古屋拘置所の厚く高い塀の外を歩くのは、中にいる息子〔奥西 勝〕に差し入れする母、タツノ。
「名張毒ぶどう酒事件」の犯人とされ最高裁でも死刑が確定していた。度重なる再審請求も無駄に
終わった。冤罪で無罪を信じていた母は1988年、84才で栄養失調で亡くなった。これは食の
細さもあろうが、高齢まで賃仕事をして息子に送金したためか。
死刑囚の勝氏は有罪になってから一度も娑婆にでることなく、冤罪を訴えながら2015年10月
八王子の医療刑務所で死亡、89才だった。いわば獄死である。
おしなべて検察官は、矛盾する証拠やアリバイ、証言などを捻じ曲げ、不利となる証拠は提出しな
い。それどころか強引な証言や捏造証拠さえ平気でだし、白を黒として法廷に臨む。そんな例は日
本の冤罪事件裁判歴史の中で枚挙にいとまがない。
この事件もぶどう酒の配達時間や毒物の鑑定にも多大な疑義がある。奥西 勝氏も被疑者の一人では
あるが真相と真犯人は分からぬままである。一審の三重県津市地方裁判所では疑わしいが直接証拠は
ないということで、無罪になった。その後控訴され、以後は逆転有罪死刑判決が出て、半世紀ともい
える時間を拘置所に繋がれた奥西 勝、無念の獄死であった。
 「名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の半世紀」 東海テレビ取材班 岩波書店 定価1900円+税
  ( 2013年3月25日 第2刷発行 )

眼(ガン)

2017年11月01日 | 古本
いままで古本屋さんで見かけなかったので、藤原さんにしては売れなかったのかもしれない。
大きめのカバーにはタイトルより大きい文字で中の文章の一部が書かれている。あとがきにも
書いているがアジア、アメリカ旅行記の何誌かの雑誌に連載したもので、いままで〔即物的〕
な事象は書かずにいたというが、それとて藤原さんのなら十分に面白い。
「視線のドラマ」という小見出しには、北九州市で撮った写真集で10人ほどの少女を選んだ
のだが、その中に3人は確実にその後の生活において何かが変わったようだ。<彼女たちが
レンズを見つめる視線、あるいは目の前の中空を見つめる視線。そこに〝想い〟や〝言葉〟と
いうものがたくさん詰まっており、それが私に盛んになにかを語りかけてくるような気がしたの
だ。>とある。
人を撮ることにおいて、あるいは撮られることにおいて、そこになんだかの言葉が本来介在する
べきで、多くの場合はそこに発生したであろう何者かが無いまま、あるいは気づかずに撮り済ん
でしまう。そうした映像の氾濫に今アタシたちは慣れ過ぎていないだろうか。自戒を込めてそう
思う。

 「ショットガンと女」 著者 藤原 新也  集英社インターナショナル 定価1700円+税
  ( 2000年11月7日 第1刷発行 )