BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

5 0 億 年

2008年10月07日 | 古本
 実は「氷平線」を手にしたとき、この本にも目をつけていた。
しかし一度に半額本を2冊は、アタシの百円ポリシー(笑)に
反する。したがって少し間を置いたのだが、結果的に出費額が
同じで意地との格闘(大袈裟な)に数日を要しただけだった。
そして読むのにも数日を要し、難儀した。なんだか難しく、一行一行咀嚼し反芻
しても理解がなかなか出来ない。文体も外国人あるいは訳のせいか、箸者独特の
言い回し、比喩、有り余る知識が邪魔で素直じゃない。(笑)
ただ、主テーマとする「私たちなきあと地球はどうなるのか?」は興味深い。
もし人類が突然消滅したとして、全ての科学を動員して考察した未来予測図は
こうなる。 帯カバーにある写真を文章化すると
① 数日後 たちどころに地下排水ポンプが止まり、地下鉄、ビル地下、低地が
      水没する。
② 2~3年後 建物が壊れ始め、傷みが激しくなる。
③ 5~20年後 ビルなどの直立は難しく、動植物も劇的に変化する。
④ 200~300年後 ニューヨークにある頑丈な大橋も落下。
⑤ 500年後 構造物の原型がほぼなくなり、砂や植物に覆われる。
⑥ 1万5,000年後 ニューヨーク 〔自由の女神〕像は海に沈む。
⑦ 30億年後 もはや人類の痕跡はすべてなくなっており、想像もつかない
        奇怪な動植物が出現している。
⑧ 50億年後 太陽は燃え尽き、そのエネルギーで地球も同じ運命。
 と、ざっとこんな経過になる。多少過程に狂いがあっても、あるいは人類が生
き延びても50億年後には、地球が溶けてなくなる結果は同じだ。
 ウムー あまりにも先の話しは実感がないが、人類はどうあれ滅亡する。
現在当面する地球規模の環境危機だって、真面目に考えたら絶望的になるし
なぁ。バカな戦争など、している場合じゃない。世界の指導者さんよ。

 「人類が消えた世界」 著者 アラン・ワイズマン  早川書房
  ( 定価2000円+税  2008年6月11日 5版発行 )

おにぎり

2008年10月05日 | テレビドラマ
 あれからもう9年が経ったようだ。
1999年の夏、「札幌デジタル映画祭」という企画のなか
事前のワークショップとして映画製作があった。30分以内の
短編という条件のシナリオ公募があり、その応募者にS君がいて見事に当選した。
 〔ある夏の日、就職活動中の男子学生がビル屋上に彷徨い、閉じ込められる。
携帯にかかってきた一本の電話「あんた 誰?」。彼はその未知の女性に翻弄され
心揺れる。〕S君は当時大学四年生、いわば等身大の自身のことでもあったろう。
 撮影はアタシが担当することになっており、題名は屋上を意味する「R」と決
って、撮影、編集仕上げ、シアターキノでの上映と、無事に推移した。
 S君はその後もシナリオの修行を続け、短編などの脚本家として名を挙げ、地
方映画祭への出品作が受賞もした。
 番組宣伝用のハガキがS君から届いた。脚本に彼の名が印刷され載っている。
STV「どさんこワイド180」の内で10月6日から17日までの間、連続
ミニドラマとして放送されるようだ。
タイトルは「桃山おにぎり店」(放映時間は毎日16時05分ころから)
 みたあとでは書きづらくなる(失礼、笑)と思うので、事前にこのブログに
書かせていただきました。
 そのS君とは 島崎 友樹 氏のことです。

あれはなにを

2008年10月03日 | その他
 札幌の中心部を流れる川の、その橋のたもとでのことだった。
川面に映る逆光、自転車やジョギングで通る人の長い影を狙って
いた。小刻みにポジションを移動し近辺の様子を窺がっていた。
すると川沿いにある護岸用階段に、一人の女性(多分40歳前後)が膝を抱え、
狭い場所に座ったような形で、ぽつねんとして居ることに気がついた。よくよく
みると右手は携帯電話を持ち、話し中らしい。ほかに持物はなく、まるで宅急便
の配達を玄関先で受け取った時のような服装。全身は押し留められていて、僅か
に口元だけが動き、表情は深刻そうだ。
 どんな話しの内容にせよ、人は少しは自然に身体が動き、相手には見えない身
振りをも伝えたい意図に込める。がその人は身を堅めて周りにバリアを発生させ、
それ以上の何ものをも拒んでいた。

 橋の上は半円のアーチ状階段になっていて、人もそこを通ることが出来る。
しかし夕方のその時間に、わざわざトマソン風階段の上り下りをする人はいない。
心なし俯き、足早に平らな歩行帯を通行して行く。

 彼女はそのままに、居た。みると先程の形からは右手だけが下に降り、アニメ
原画なら二枚で済むだろうか。電話が終わっても表情と姿勢に変化はなかった。
空にシルエット気味になってきたビル群と橋を絡めたアングルは、彼女の座って
いる辺りだ。彼女はそれを察しのか静かに立ち上がり、向きを変え、階段を平行
に歩いて遠ざかって行った。離れた後姿でも、その表情がよみとれた。

 彼女が誰かに何かを伝えようとしていた事情は、様々に想像がつく。またそこ
に居たときに電話がきたのではなく、そこに来て彼女から電話したことは察しが
つく。 しかし解らないのは何故このような場所で、長電話をする必要があった
のかだ。他人に聞かれずに話しが出来る空間なら、わざわざこんな処でなくても
いいと思うのだ。そこがどうにも分らない。
 小さな百グラムほどの通話が出来る機械。それになにかを懸け すがるように
握り締めていたあの人は、誰と、どんな世間とつながり、どんな世界を求めて
いたのだろうか・・・。

ヌクもり。

2008年10月01日 | その他
 どうもいつもより九月は早くに過ぎたようだ。
気がつくと十月になっていて、そのどさくさで大事な番組が
終了したというではないか。 全くもって残念至極。
HBCラジオ土曜夜“フォーク喫茶青春復刻堂”という2時間番組が、通常より
1時間短縮し、九月末土曜でひっそりと閉店してしまった。
日本全国あまたのラジオ番組が在る中、三上 寛、山崎 ハコ、森田 童子などが
リクエストでかかる“流浪の民”(時間の変更、短縮、放送中止はいつもの事)
のような番組など、ありえなかっただろうに。超のつくマイナーフォークも聴け
たアンモナイト番組(?)で、硬質、軟質、自在なアナキーさがアタシは大好き
だった。 これは何があっての閉店なのか。
 マスターの内藤 克氏は〔好漢ときに狼〕で、看板娘の奥田 ゆか嬢にセクハラ
したか、酒の席で上司に毒づいたか、はたまたカン違いした公安が新宿フォーク
ゲリラの復活はならじと、裏でツブシにかかったのか。(笑)
あるいは聴取率低迷によるオヤジ相手の番組は、販促にならないとスポンサーに
悟られてしまったのかの、いずれかだろう。(いずれも冗談ですよ。笑)
 埒も無い番組が蔓延り、これから寒い季節に向かうというのにアタシは何を
ヌクもりに、生きていったらいいのか・・・。(笑)