BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

弟子屈

2007年09月30日 | 古本
 本棚を探していたら、古く日焼けした「弟子屈町史」が出てきた。
「昭和24年10月10日発行 非売品」とある。
思い出した。札幌のどこかの古書店で買ったのだ。買った理由は2つあつた。
1つは更科源藏さん(尊敬する詩人です)が編集者だった事と、
もう1つはある人の名前をその中にみつけたからだ。

 二十才の頃、ー冬を弟子屈に住んで下宿した。
そこには母親とその娘さんが暮らしていて、先住していた先輩が誘ってくれた
からだ。もとよりその町に他の下宿屋もなく(旅館はあったが)初めから選択肢は
なかった。 
母親は夫を亡くし、ひとり娘は父親を亡くしていた家庭だった。
防犯的意味もあって、素人下宿を始めたとの事だった。
全く寒い家で、夜の食事がおわるとストーブもない部屋に戻り、先輩達と
フトンにもぐるしかなかった。
娘さんは釧路の高校に通っていて、めったに会うこともなかったが、
勉強を教えてほしいと、その寒い部屋に来ることもあった。
オームの法則は、抵抗値によって流れる電流量が変わる原理を、水道の蛇口に
例えて教えてあげた。物理は得意な分野だからワケなく教えられた。
 ー度彼女から休みの日に、喫茶店へ誘われた。
コーヒを飲みながら、実の母ではないといい、折り合いが悪いと相談された。
二十才の世間知らずに、どんな助言もなく、ただ聞いてあげるしかなかった。

 やがて春になり、その地を離れた。
札幌の住所は告げてあったから、23度彼女から手紙が来た。
若い人にありがちな進路などの相談事が書かれていた。
返事は書いて出したが、しかし普通にいつのまにか疎遠になった。
それ以来、彼女とは音信不通になった。
数年後、古書店で目についた本をパラパラめくっていると
そこに 昔 彼女から聞いていた父親の名前が載っている。
町議会議員としての活動と、自治功労者としての名前でだ。
そおゅう父親である事を彼女は言わなかったが、すぐに判った。
名前の他に詳しい記述はなかったが、それが「弟子屈町史」を
買った2っ目の理由だ。
 
 切原泰子さん、元気でしょうか。
 あなたには、その後どんな人生があったのでしょう。
 今は、幸せに暮らしていますか・・・。
 
たとえ、奇跡の奇跡の奇跡が起きたとしても、
彼女がこのブログをみることは ないだろう。
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泣ける その2

2007年09月29日 | 古本
この作家との出会いが、どの著作タイトルだったかはもう覚えていない。
けれど、アタシにとってこの小説は強烈だった。
小檜山博「地の音」(集英社1985年1月25日初版 定価880円)
出版直後に読んだのだから、もう22年前ということになる。
歯がカチカチ鳴るほど涙が出て、困った。
高校生活(苫小牧工業高校)を描いた自伝的青春小説なのだが、
その空腹と寮生活、学費を払えず何度も退学の危機を迎えた根本的貧困。
ある種、自分とも重なっていた。
当時の百姓の所業がどれ程のものかは、自身の記憶ともー致している。

いつか、自分もあの時代の百姓の貧困の事には、はっきりとしたオトシマエを
つけてやろうと思っている。(この辺のことは、別に書くつもりだ。)
つまり、百姓だった親父とお袋の 貧困涙 をぬぐってやりたいのだ。
と、いっても二人とも、もうこの世に生きてはいない。

小檜山さんの小説には、ウソがない。
それは「光る大雪」を読んでも、正確な時代考証である事が解る。

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りんさん

2007年09月28日 | 古本
1994年の春から夏にかけて、ある高校へドキュメンタリィー番組で通った。
授業風景の撮影で教室に入ると、国語の時間だった。
詩を読み、その解釈や意味を考えるという授業だった。
取り上げられていたのは、石垣りんさんの「表札」。
りんさんの詩が高校の教科書で扱われている事に驚き、しかも「表札」が
載っているいる事が嬉しかった。
だが授業は騒がしく、生徒達にみが入っていない。
なんだかもったいなく、自分が机に座りたくなった。
中学生に読ませたい、○○フェアーという書店の運動があるが
石垣りんさんの詩集「表札など」は、含まれているのだろか?

石垣りんさんは、2004年12月 84才で亡くなってしまった。

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甲子園

2007年09月26日 | テレビドラマ
写真甲子園2007-カメラがあれば強くなるー 9月17日uhb(月)放送
この番組にもふれなければ、片手落ちになる。
ドキュメンタリィー番組は出来るだけみるし、地元制作であればなおさらだ。
ただ、どうしても苦言を呈したくなる。
アタシがみたいのは高校野球じゃないのだから、どこが優勝したとかの事
ではない。
つまり、4日間の大会ニュースや順位結果などではなく、作り手の視点や
切り口がみたいのだ。
もっといえば、あなどれない高校生の撮る写真に対して、番組自体がなにか
負けている様にみえる。
こんなイベントがありました、高校生達が4日間頑張って写真を撮りました、
順位結果はこうでした、的内容だと毎年同じ番組にみえるのだ。
タレントが1人からむのも意味ないし、後日沖縄での優勝校インタビューも
蛇足に過ぎると思うのだが・・・・・。

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凡庸

2007年09月24日 | テレビドラマ
北海道が舞台だったり、地元のテレビ局が制作のドラマはいつも注目して
みている。 しかしどうしていつも、裏切られた気持ちになってしまうのだろう。
パターンは、いつもこうだ。
ロケ地紹介導入部→人物情況設定→ワケ有り→問題内包と拡大→ロケ地背景芝居
と周囲からの雑音→困難度ピーク→対峙→そしてここから一気に問題解消。
つまりはオール善人達による氷解、和解、回復、再生へとナダレのごとく、
つきすすむのだ。空々しい設定の決まりごとだけで、何事も無かったかのように
問題が解決する。でもね、それでもし解決するくらいなら、初めから大した問題
ではなかった事になりませんか。そもそも登場人物がヤワにすぎませんか。
その人達が右往左往するだけの話に、どんな真実味がありますか。

9月16日放送、HBC制作「さいはての向日葵」
親子の絆だの別離だの、どこにでもある話しをなぜ無理に知床に結びつけるのか。
こざかしい芝居(演技と脚本)は、ただ知床をダシに使っているだけではないか。
もしあのドラマが成立するとすれば、番屋に住む宗倉(中村嘉葎雄)の心象風景
だろう。数日間のドラマでいいのだ。宗倉があの小屋のなかで、どんな毎日を
送っているのか。どんな手仕事をしているのか。電気や水道はあるのか。
なにを喰って生きているのか。夜と嵐の孤独にどう立ち向かっているのか。
そして彼にどんな過去があったのか。
役者は1人か2人でいい。セリフなど極力少なくていい。中村嘉葎雄の存在感
でいい。ロケ地も番屋周辺に限定していい。スタッフも少数で、その分撮影は
時間(日数)を贅沢に使えばいいではないか。
それこそが、知床という大自然に地をかりた敬意と畏怖を表した作品となるのだ。

だれかさん、あれで感動するのですね。
進歩のない凡庸なドラマでも、名門復活でたいそうお喜びなのですね。 

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カンドウ

2007年09月23日 | 時と事
いつから人はあんなに「感動」好きになってしまったのだろう。
人がスポーツで勝てば、チームがなにかで優勝すると、タレントが死んでも
「感動をありがとう」などと横断幕が出てくる。
そして感動している自分に、また更に感動する。
つねに感動、感動、また感動。
その内、自衛隊が海外で戦争に参加し、人を殺して帰って来ても
横断幕を持って叫ぶだろう。
「人を殺して帰って来れて、感動をありがとう」てね。

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泣ける その1

2007年09月22日 | 古本
人は本を読んで泣けるのだということを、17才の時初めて知った。
その本の復刻文庫本が、新刊書店に列んでいる。
しかし読んだその本は、とっくに他の何冊かと一緒に売ってしまって今はない。
札幌の「4丁目プラザ」、そのビル以前にあった古本屋にだ。
「お客さん、この手の本は一冊10円くらいでしかとれないのいのよー」
10円の金にも困っていたからしょうがない。
その本を原作として、映画にもテレビドラマにも歌謡曲にもなった。
映画の主演は吉永小百合、浜田光夫
テレビは大空真弓、山本学  歌は青山和子
河野実・大島みち子箸往復書簡集「愛と死をみつめて」です。
映画も泣けた。同じ入院患者の宇野重吉が車イスで病室に急ぐ。
間に合うことなく、小百合が逝った。老いた宇野重吉が、つぶやく。
「ワシが替わってやりたかった」
こらえていたが、もうだめだった。
一緒に行った室蘭の映画館、ダチの野郎も泣いたくせに、オレの事を笑った。

復刻版を買うことはしなかった。
その時代のその時を、そのままにして残しておきたいからだ。

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上映中

2007年09月20日 | 映画
今、シアターキノで「壁男」が上映中だ。
昨年の夏、プレミアム上映でみせてもらつた。
しかしね、しかしさ、北海道で撮られた映画は、北海道というロケーション
をウリにするか、北海道のスタッフで撮った事をウリにするか、
そのどちらかだよね。
監督はメディアで、北海道スタッフを強調していたが、結局はなんにも
みるべき中味が無いという事のウラがえしです。
語るべき内容が、なんにもありません。

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心よく

2007年09月18日 | 古本
澤地久枝さんは、心して読まねばならない作家です。
座を正して、読まねばならない人です。
「妻たちの二・二六事件」(中央文庫1977年1月20日8版)で初めて
出合ったが(澤地さんの処女作)、それ以後少なからず読んでいた。
「石川節子ー愛の永遠を信じたく候」(講談社1981年6月22日第4版)
澤地久枝と陳列棚にあれば、それを躊躇する理由はない。
(出版から26年の後に、この本と出合った事になる。)
啄木の妻、石川節子を知る機会はこれが初めてだった。
それにしても明治後期、あの暗くて深い井戸の様な貧困病苦は、読んでいて
心が痛い。
良くも悪しくも、全て啄木に起因しているのだ。
だからこそ歌もまた胸をうつ。
1990年、街をイメージ的に撮る内容の作品で、一夏を小樽に通う事となった。
自分の事務所を立ち上げた年だから良く覚えている。
その小樽の水天宮神社(啄木夫妻が一時住んだすぐ近く、市内の海と街を
見渡せる小高い場所にある)の境内に、啄木歌碑が建てられていた(今は
小樽公園に移設されている)。
「心よく我に働く仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ」
それを読んだとき、体内に電流が流れるように、深く心撃たれた。
これは自分の歌だと思った。
その気持ちは17年後の今も、日々忘れることがない。

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タイトル

2007年09月16日 | 古本
映画や小説などのタイトルは、体を一番良く表すだろうし、重要な事だと思う。
タイトルさえ見事に決まっていれば、それだけでいい作品に思える。
長かったり、覚えずらいのはゴメンだ。
仕事仲間との酒の席で、ある作家がなぜ直木賞を取れないのかという話になった。
その話の時は、そーだよなぁーと思ったが、最近ハタと気づいた事がある。
つまり、タイトル(本の題名)があまりにも長く、イイカゲン風だからなの
ではと。
しかし、どこの古本屋にも大量にならべられているのは、それだけ多くの人に
読まれているという事でもあろう。
なんだかなぁ・・・・。

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