BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

九 月

2011年09月28日 | 古本
 9月はまたちょっと地方へ行ったり、仕事をしたり、風邪で体調がグズッたりで、
多分今月は6冊+「塩狩峠」で終わるだろう。

 ①「時の廃墟」 著者 沢木耕太郎  文藝春秋 定価1905円+税
  ( 2003年3月30日 第1刷 )
 全9巻の3巻目、70年代初期からの若く精力的な筆致。
 ②「小耳にはさもう」 著者 ナンシー 関  朝日文庫 定価520円+税
 思いかけず手に入った。多分、別タイトルと内容が重複していたとしても、何度
読んでも面白いからいいのだ。
 ③「現実入門」 著者 穂村 弘  光文社文庫 定価514円+税
  ( 2009年2月20日 初版第1刷発行 )
 人生の初経験値がテーマ。その初体験がどうでもいいのは面白くもなんともない。
穂村さんの文章には〔ほむら(むら)〕が多いのだ。
 ④「ゆらゆらとユーコン」 著者 野田 知佑  本の雑誌社 定価1240円
  ( 1990年1月20日 初版第3刷発行 )
 以前からのアタシの主張だが、国土交通大臣には野田さんにすべし。毎日カヌー
で遊んでいてもらって、日本の川、ダム工事はすべて中止するというハンコだけ捺
してもらう。刃向かう役人には野田さん得意の鉄砲で応戦してもらおう。
 ⑤「ほかならぬ人へ」 著者 白石 一文  祥伝社 定価1600円+80円
  ( 平成21年11月5日 初版第1刷発行 )
 題名からして覚悟のいる小説かと勝手に思っていた。まあしかし読むと、これが
スカスカの東京ローカル小説だ。こんな話しなら韓流TVドラマでやっておくれ。
しかも別所収作は「かけがえのない人へ」というタイトルだ。題名も表紙絵も全くの
偽装表示にすぎない。
 ⑥「ジャージの二人」と「ジャージの三人」 著者 長嶋 有  集英社文庫
  ( 定価429円+税 2007年3月25日 第2刷 )
 しかしこの題名はミもフタもない。内容に一人が加わっただけで、もう少し題名
に気を配ってもらいたい。しかしだ、題名は情けないが、この小説アタシは好きだ。
なかなかいいのだ。長嶋さん、タイトルと内容レベルは時に相反する。「猛スピード
で母は」は、きっと深い意味があるハズだと読んだが、結局なんのことない〔母は
スピード狂〕だという話しだった。タイトル主義のアタシは大いに困る。
 そんなワケで、9月がおわる。


つ づ く

2011年09月25日 | その他
  秘境・辺境無人駅舎の旅 その⑫

 「ひまわりの里」はひまわりが一面、夏の終わりに行儀よく並び咲いていた。

 最終の2駅は江部乙と光珠内、走りのルート上残っていた駅だ。寂れてはいるが、
立派な無人駅だ。どちらも1960年代から70年代にかけては通学する高校生た
ちで賑わっただろう。きっとありふれた青春通学風景話しに、溢れていただろうに。
 歴史は駅を中心に発展し、時代が駅の周りから先に衰退させた。駅前の一等地が
むしろ空き地なのだ。何処かのその駅前に、「去年屋」などはお似合いだと思うが。

 岩見沢市は江別市を挟んで札幌市の隣町といえる。国道12号線を南に進んで
岩見沢市内に入ると、あの道路沿いにある大看板群に圧倒される。資本の強欲は
その強さを競うように高く大きい。車メーカー、食品スーパー、生活雑貨、大看板
類が人の欲望を誘い、手招きしている。過疎に寂れた町をさんざん見てきたアタシ
の目には、むしろそれが累々たる屍の墓標のようにもみえる。ある一定以上の都市
の入り口郊外は、みな同じ風景になってみえないか。葬列のようにならぶあの看板
群こそ、「風景の死滅」と言えまいか。オレたちはその醜悪な看板風景に馴れすぎ
ていないか。なにかといえば大きな看板枠や、寄らば大樹や、桁の大きなものに、
贅沢な消費にも(酒は別にして。笑)馴れすぎていないのか。 オレたちは・・・。 
 全走行距離943,6Km。 

 いつか再開する秘境・辺境無人駅舎の旅へつづきます。

末 裔 ?

2011年09月23日 | その他
  秘境・辺境無人駅舎の旅 その⑪

 アタシは怖気ついた。〔熊出没注意〕の看板が妙に新しい。きっとあの場所は、
人間が出没するより熊が出没する確率の方が高いだろう。ハチに刺されたとか熊に
喰われたとかのニュースの元にはなりたくない(笑)。まだ現世に未練もある。
この先にいいことだって待っているかもだ。およそ30分で退散だ。

 1915年のことだから、いまからおよそ96年前だ。そんなに大昔の出来事で
もない。ホクレンが昔出していたドライブマップにも「三渓別羆事件跡地」として
載っている。現場の麓近く、およそ5Kmくらい離れたところで見かけたオジさん
はアタシのクルマを強く目で追っていたが、なにをして暮しているのだろう。建物
の様子からして住居ではなく、なにかの倉庫かも知れない。その道々で見かけた唯一
の人間だ。あの当時にゆかりのある末裔なのだろうか。アタシは車を降りて話しか
けるべきだったかも知れない。

 国道232号線に戻って南下した。小平、留萌を過ぎ無料通行地帯の高速道に。
ほどなく「北竜ひまわりI・C」で下りて〔ひまわり公園〕へ。八月の秋空にまだ
ひまわりが咲き誇っていた。どうやら今回の辺境無人駅の旅は、なにかとツイていた。
そこまで821Km。予定の駅はあと函館本線の2駅。どうにか無事に戻れるメド
がついた。  ―つづく―

 ※跡地碑の上部、右横に〔袈裟がけのお地蔵さん〕らしきが見えるのは、アタシ
  の気のせい?

わらぶき

2011年09月22日 | その他
  秘境・辺境無人駅舎の旅 その⑩

 おまけにアブは車が大好きで注意と書いてある。車内からよくみるとアブが大量
に群舞している。その中にハチも混ざっているだろう。案の定、ドアを開けて下り
るとそのスキに大きなアブが一匹入ってきた。車のなにに反応するのか、エンジン
も止められない。もしエンストでもしたらここからの脱出は危うい。アブは窓ガラス
に添ってブンブンいってる。窓を少し下げると出て行った。ヤレヤレだ。スズメバチ
にでも刺されたら、イノチとりになる。手も口も動かなくなると、刺された経験者
に聞いたばかりだ。

 1915年(大正4年)の12月、この三毛別(現三渓別)六線沢で、開拓に入
っていた7人が冬眠に入り損ねた一頭の羆に喰殺され、3人が重症を負い後で死に
至った。それはその5日間程に起った惨劇だった。吉村 昭さんの「羆 嵐」は限り
なくノンフィクションに近く、その事件を取材したものだ。
 開拓民の住み家もわらぶき程度の粗末なもので、どうやって冬の寒さに耐えたの
だろうか。恐らく年中昼夜火は絶やさなかっただろう。この住み家の再現は、時代
考証としてもうそではない。内部の再現も生きることに最低限必要な用具しかない。
熊の一撃でワラの壁は破れただろうし、小さな焚火にかけていたナベも跳ばした。
その当時、板などはほんの一部分にしか使われていない。そこ周辺のリアルな荒れ
方は、むしろ虚飾を寄せ付けない厳しさだ。時代が人を鍛え強くしたとしても、昔
の人の辛抱は果てしないものだった。
 冬は分岐の道道から冬季閉鎖になり、むしろいまの方が過疎なのかも知れない。
 辺りはいまも自然そのままで〔熊出没注意〕の看板が出ており、長居は出来そう
にない。アタシは早々に退散したが、大正の昔のひとは、ここに留まったのだ。
                            ―つづく―

ベアーロード?

2011年09月21日 | その他
  秘境・辺境無人駅舎の旅 その⑨

 ここまでの走行距離、ふわっと670Km。
 朝7時半には出発の準備も覚悟も出来ていた(大袈裟だが)。国道232号線を
下り、左の国道239号線に逸れる。古丹別から道道1049号線へ曲りその終端
にある筈だ。道の所々には「ベアーロード」なる大きな看板が、物置などに貼って
ある。しかしそんな観光案内看板くらいでは、恐ろしくて近づけないだろう。国道
からの分岐点から15Kmは奥にある。他の車もそんな朝の時間帯には走らないと
みた。道には猫と、そのほかの小動物(テンかなにか)の死骸が血を出して横たわ
っていた。古くはないから昨夜のことだったのだろうか。
 道の左右にはいまは小さな水田が続く。その当時、米が栽培できると知っていた
のかどうか。あるいは開拓期の希望的観測で、米ができると信じていたのかも知れ
ない。役人の甘言に騙されたのか、それともそうするしかなかった人達が開拓に入
ったのだろうか。
 舗装が途切れた。その先は林道的な道だ(昨日の写真)。背中に寒気が走る。朝の
8時すぎに、そんなところに来るひとはほかにはいない。
 先へ進むと、町で建てたと思われる縦看板があった。
 「今年はアブとスズメバチが大発生!」という警告文が建ててある。うむー。
                            ―つづく―

あ か し

2011年09月20日 | その他
  秘境・辺境無人駅舎の旅 その⑧

 初山別村の道の駅に着いた。ただ晩メシの用意をしていなかった。レストランが
あったが、ここまでコンビニおにぎり系で済ませていたのに、ここだけ贅沢は許さ
れない。で、この先のコンビニを探したが村街にはなかった。すると考えが変わっ
た。このまま、まだ南に下って先の道の駅に行ってもいいのではと。なにも初山別
の道の駅に義理はない(笑)。苫前の道の駅まで行くのも悪くない。事件現場に近
い方が朝余裕ができる。なにより入浴施設があるのもありがたい。
 「風Wとままえ」は〔ふわっと〕と読ませたいらしいが、なんだかこういうシャレ
は好きになれない。苫前の丘に連なる風力発電基群の大半がサボッて回ってなかっ
たし。(微風のため?)しかし一部の風力は回っているのだからあの光景は不思議だ。
逆にさっき通って来た幌延町の道道106号線沿いに、28基が直線に並ぶ風力
発電機はどれも全部普通に回っていてサボッてなかった。だとすると幌延のアレは、
風で回っているのではなく、逆に発電機モーターに電力を供給して、あの大羽を回し
ているのか。幌延と苫前は、実のところどうなのか明らかにすべし。(笑)

 問題はこの先だ。写真は少なくともここまでは来たのだという証のために撮った。
もしアタシの身になにがあっても、ヤツはそこまでは行ったんだ、という話にはなる
だろう。(笑)  ―つづく―

ばっかい

2011年09月16日 | その他
  秘境・辺境無人駅舎の旅 その⑦

 〔抜海〕いい響きの地名だ。ここまでの走行距離 572,4Km。
 一両列車に乗り、ゆっくりと、ひとりで降り立つのが似合う駅だ。このホームは
ひとりで降り立った人々の、交差点なのかも知れない。そしてまた何処かへひとり
でふらりと旅立つ、そんな抜海駅のTV番組を以前みたが。
 車で見学しに来る人が多いのは皮肉で、アタシもそうなので申し訳ない。一昨年
に続いて来たのは二度目だが、撮影ともなればそう感傷的にもなれない。休日で自
転車の駐輪がなく、あの通学風景が見えてくるような手がかりがないせいだろうか。

 もう午後3時に近いが、抜けるような青空が広がっている。利尻富士を上手に見て
南に戻ろう。見渡す限りどこまでも真直ぐな白線が続くあの海沿いの道路は、全く
気分がいいのだ。視界を遮る人口物がなにもないのだ。
 あしたはあの大正年間にあった、大事件現場を見にいくのだ。  ―つづく―

 ※あすから仕事でまた数日休みます。事件現場の話しは、連休明けに―。

BIKKY

2011年09月15日 | その他
  秘境・辺境無人駅舎の旅 その⑥

 三日目の朝、ここまで397Kmの走行距離、朝7時には出発。
 豊清水→天塩川温泉→筬島→天塩中川→糠南→雄信内→南幌延→下沼→抜海まで
爆走だ。でもアタシは安全運転だ。いつもなら車が後ろにつかれるが、そもそも車
が走ってない。サロベツ原野から北の広大な地域には、人も車も極端に少ないのだ。
 筬島駅に着いたのは朝8時40分、終わって出ようとすると目の前に元学校的板
塀の建物。彫刻家 砂澤 ビッキが創作アトリエとして使っていた
『エコミュージアムおさしまセンター「BIKKYアトリエ3モア」』が音威子府
村の筬島(おさしま)駅前に在った。
 開館は9時半から、30分以上前だがアタシは恨めしそうに声をかけた。いま掃
除中だから少し待ってと。待つ、最大30分待つ。だが時間前に見かねたのか開場
してくれた。若い女性係員が説明案内に張り付く。あれは親切心的お世話なのか、
悪さ防止のつもりなのか?その説明の声が小さくて、アタシにはほとんど聴き取れ
ない。もしその声量がほかの入場者への気遣いなら、アタシ以外はいないのに。
あれではゆっくりとした鑑賞が逆にできない。
 あのお節介的張り付き案内説明と、なんとも分かったようで分からないミュージ
アムのネーミング(いかにも行政が関与干渉した悪名)を我慢すれば、あの作品群
と空間創りは素晴らしい。一日過ごしても退屈はしない。
 『BIKKY館』 これでいい筈だ。誰も文句言わない。
 三日目、あの稚内市 抜海駅まで行くのだ。  ―つづく―

 ※無人駅①~⑥は、無粋だったので改題しました。

ガ イ シ

2011年09月14日 | その他
  秘境・辺境無人駅舎の旅 その⑤

 「塩狩峠記念館」が絵ハガキや、なにかとグッツを揃えて売りたがるような売店が
ないのは正しい。なにより静寂な環境は、ことさらオバさんの話しが胸に迫る。つい
時間をとってしまったが、次に行かなければならない。

 宗谷本線 南比布→塩狩→東六線→北剣淵→瑞穂→北星→南美深 〔びふか〕の道
の駅に着いたのは18時もかなり過ぎた時間だった。レストランなどはもう閉まって
いる。食料の調達に美深の町まで10Kmもどる。
 〔北星〕駅を探すのに道を大いに迷った。地図上を右と左を間違えて、舗装も途切
れた山道をやや奥へと走った。そんな道の果てに行き着いて在ったとしても、宗谷
本線の駅はなんの不思議もないからだ。国道や道道からそうとう離れた位置にあり、
ナビにも表示されなかった。線路や駅をナビは100m以下の設定にしなければ教
えない。道路を走る前提のカーナビは、鉄道には冷たいのだ。5インチの安物ナビ
はことさら鉄路駅探しには向かない。(笑)
 しかし迷ったが探し宛てただけのことはある。畑の中に下見板ばりの小さな木造
駅舎。戸もない入り口には、やたら大きなクモが巣を貼っていて、壊すと襲われそ
うでアタシは怖い。あの糸の粘りと太さは人さえ絡めとる。離れた位置から夕景の
シルエットで、そのクモさんを撮った。
 迷ったロスタイム40分。それでも今日も1日晴れ、まあ、ツイているのだ。

 昨日だが〔北秩父〕駅の屋根裏に、写真のような硝子(がいし)を使った電灯配線
がそのままだった。1950年代末までの宅内電気配線はこうで、それをそのまま
放置していたのはエライ。いまこんな風に配線したくても、部品材料は手に入らな
いだろう。実に分かりやすく理にかなった、礼儀正しい昔の電気配線施工なのだ。
  ―つづく―

ご ち た

2011年09月13日 | 古本
 三浦 綾子さんの「塩狩峠」が均一棚にあった。ほかにも何冊かあったが、いまま
で手にすることはなかった。アタシの本棚の奥にも1,2冊あるかも知れないが、
内容はなにも憶えていない。「氷点」だってなにか気後れして読んでないハズだ。
だいたいそういうテーマ性になんの関心もない俗人で、罪深い人間だからか。(笑)
 旭川にある「三浦 綾子記念文学館」には6,7年前、ロケの撮休日に行って半日
過ごした。その時でさえなにも読む気は起こらなかったが、今回は違った。オバさん
の話しを聞いたからだ。
 しかしこの「塩狩峠」は名作でも傑作でもないが、読んでチョット涙がこぼれた。
そしてオバさんの話しと小説を照合すると、あることに気付いた。なんだ、きっと
そうなのかも知れないと、一人ごちた。

 「塩狩峠」 著者 三浦 綾子  新潮文庫  定価629円+税
  ( 平成21年5月30日 85版 ※初版単行は新潮社 昭和43年9月  )