BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

荒唐無稽か?

2020年10月18日 | 古本
この本も再読だ。ここのところ日航123便事件の本をここの棚に在る限り読むことに。まだほかにも在るだろう。
この本、ご丁寧にボイスレコーダー+CG映像付のDVDが付録として付いている。
音声は生々しく墜落までの32分間を録音してあり、最後の「ドーン」という音とともに消える。高濱機長は〔歯〕
だけを残して露と消えた。
米田さんは、公式の墜落地点の発見が遅れたことには疑問を呈しているが、原因は後部圧力隔壁の修理ミス説をとな
える。自衛隊のミサイル追撃説などは荒唐無稽と関与は否定する立場だ。しかし近年青山透子さんなどが丹念に当時の
目撃者を探し、再考察した本を2冊出した。その方が信憑性があり説得力もある。つまり機体には黄色い色が付いていたと。
それは自衛隊の無人標的機の色だ。
昨日は中曽根元総理大臣の追悼式だったようだが、弔意の半旗だと。1985年の8月12日に総理大臣だったのは
中曽根だ。かれは全てを知る立場、自衛隊の最高指揮者だ。群馬の別荘で何のために座禅を組んでいたのだろう。
 「御巣鷹山の謎を追う」 著者 米田 憲司  宝島社 定価1890円+税
  ( 2005年10月5日 第3刷発行 )

ダイヤアイス

2020年10月16日 | 古本
いずれも再読だったが、八柳さんの文章に触れたくなった。彼は2008年に77才で亡くなり、今考えると早すぎる。
もっと書くべきネタは有ったろうに惜しい。
極限の貧乏少年時代を過ごし、のちに青木商事の専務となりキャバレー「エンペラー」の支配人としてホステスさん達の
面倒をみた。きっと亡くなった時はススキノのエンペラーで関わった多くの独立したママさんたちの、涙を絞っただろう。
「ある再会」の中、おやっと思った箇所があり、多分以前ここで取り上げていたらそのことを書いているだろう。
ある暑い年の夏、エンペラーは冷房装置が壊れ、500坪ある地下の気温と湿度は焦熱とかす。そこで〔マルトモほんま〕
の社長に相談し氷柱を60本を運んだと。そのことととは直接関係はないが、アタシは短期間だが〇トモほんまでアルバ
イトをした。当時は各店に製氷機などはなく、居酒屋やスナックの入り口にロゴ入り青いケースが置いてあり、その中に氷を
切って運び入れる仕事だ。先輩と組になりアタシは専ら運び役だった。先輩の氷専用の鋸の使いは見事で、切ってる途中で
鋸をポンと押し切る。すると真っ直ぐに切れた氷を素早く肩にかっぎ階段を上り配達する。先輩の運転する小型トラックは
合理的な道順で回り、助手席に乗ってるアタシにはタバコを吸う時間もなかった。汗と氷の溶けた水で上半身はすぐにびしゃ
びしゃになるゆるくない仕事だった。忘れもしない当時の日給800円。(時間給じゃない)
そのアルバイト代を本間社長に相談し、無理を言って日払いにしてもらった。なにしろアタシに手持ちの金がない。800円
あれば1日の生活はなんとかなった。そこは何週間かで辞めた。若いが話の分かる社長で、アタシの事情を察してくれた。

東京から戻ると、「ダイヤアイス ほんま」の広告がバスに貼ったのが沢山走っており、社業は盛んとみて懐かしかった。
ただその時、まさか後に倒産するとは思わず、新聞にけっこう大きく載っていて驚いた。あの先輩たちはどうしただろうと
忘れもしない顔が浮かんだ。スナックや居酒屋などでも大小の製氷機を入れ始めたのだろう。

後年、ある偶然手にした小冊子を読んでいるとその社長の名前が編集長として載っていた。メールアドレスも載っていたので、
アタシは以前お世話になっとお礼の長文なメールを書いて送った。だが返事などはいつまでも無かった。もしやパソコンなど
使わない名誉的立場かも知れないと思い、そのお礼メールを印刷し郵便にて送った。だが読んでくれたどうかは分からない。
とうに全ての過去など思い出したくもない、としたらそれ以上アタシに出来ることはない。誰にも消沈はあるのだ。
 「薄野まで」 著者 八柳 鐵郎  朝日新聞社 定価1100円
  ( 1988年12月10日 第1刷発行 )
 「ある再会」 著者 八柳 鐵郎  北海道新聞社 定価1500円
  ( 1992年3月23日 発行 )