BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

ワ ダ チ

2009年04月28日 | 古本
 思いがけず〔ヒロシ〕の新刊(08年5月刊)が出ていた。
読者カードだって5月までは有効期限だ。しかしいくらなんでも
まだ半額の値が付いてる。入り口本に手を出すのはご法度だ。
せめてやはり均一棚に行ってからと、その日はパスした。だが一日経って、どう
にも気になる。「沈黙の轍」とは、タイトルがなにか高尚ではないか。大それた
ことは書いてなくとも、むしろ自虐ネタが心情にハマルのではないか、と考えた。
新刊の「風 葬」で激しく裏切られた傷心を早急に治す必要がある。その他の細か
いイイワケをならべて、アタシは682円を翌日払った。

 ウムー、しかしだ。一ページに一言ネタを一つ印刷した前「ヒロシです。」と「ヒロシです。②」本の方が、遥かに哲学的示唆に富み、わずか15分で読める
という利点がある。彼は、少年時代にはやっぱり〔ヒロシです。〕ではなかった。
 どうも今年は「モンロー」と「風 葬」で2敗、「沈黙の轍」で半敗だ。(笑)
負け惜しみだが、ゴールデンウィークに困らないだけの冊数はもう手元に揃えて
ある。均一棚からたっぷりとね。

 「沈黙の轍」 著者 ヒロシ  ジュリアン  定価1300円+税
(2008年5月22日 初版第3刷発行)※著者の子供時代のごく普通の物語

台 無 し

2009年04月26日 | 古本
 いずれに、と言ったがもう読んじゃったから云う。
こんな出来の悪い小説を、最後まで読んだのは初めてだ。
いまかいまかと読み進んだが、結局なんにも出てこない。
もし新刊定価で買っていなかったら、前半だけでブン投げていただろう。
 帯カバーに書いてある新感覚だの官能だのミステリーだの、そんなの何処にも
ない。構成もスジもセリフもガサツで、まるで全体にきついモザイクの掛かった
アダルトビデオを見せられた気分だ。誰が主人公なのかそれもあやふやで、著者
は全体に混乱していて、あきらめてマス目だけを埋め、推敲もない終わりかたを
した。(具体的な指摘をする価値もなし。)
 アタシは好きな作家と美人作家にはアマいのだが、前作を読んで面白かった気
分も、これで台無しにしてくれた。
 出版の自由はどんな人にだって保障されるが、こんな滅茶苦茶小説の出版を諫
める編集者はいなかったものか。それとも〔文藝春秋〕という出版社の名を借りた、自費出版だったのですか?桜木さん。
 「氷平線」の短編は巧かったのに、長編になるとこれほどダメになるのでしょ
うか?紫乃さん。読者をナメてはいけません。
 期待した分、失望の倍返えしだ。なんだかこんな時は、本読みの気が失せる。
 
 「 風 葬 」 著者 桜木 紫乃  文藝春秋  定価1238円+税
  ( 2008年10月10日 第1刷発行 )

一 日 の

2009年04月24日 | 古本
 南区にあるコーチャンフォーに行った。こちらに近い区にも
同じ店があるのだが、いくつかの理由があってそちらへ行った。
理由と言ってもそんなに大袈裟な事ではなく、単純なことだ。

その理由
①500円の図書券を1枚手に入れた。新刊文庫の1冊でも買えるかと。
②小林紀晴さんの著作が在ればと、写真集などあったら見てみたい。そして実際
には文庫など何冊も出版されていることが、店の検索機で判明した。(この場合
ネット検索はしない。なんの実感も持てないから。)
③その店のすぐ近くにGEOがある。そこで以前何冊かを買ったので、なにか掘
り出し物でもと思った。しかしだ、最近のGEOは古本に関しては全く堕落して
いる。DVDレンタルとコミック本ばかりで、単行本系はなおざりでまるで力が
入っていない。いたる所にある通りがかりのGEOについ立ち寄るのだが、ラック
一つの店もあったり、新刊しか置いていない店もありで、もうGEOは〔古本〕
の看板を取り下げるべきだ。
④コーチャンフォーから少し足を延ばすと、8mmの中古機を扱う専門店にして、あのシーナさんが読んで笑い転げたバンザイマガジンの編集長、キムジュンこと
木村 純一氏の店がある。久し振りに会いたいと思ったのと、店が移動したという
のでどんなものかと。で、実際に小さな間口のトタン系プレハブ様式昔風店舗を
二つ飛ばして左側に10メートルずれた。移店(転)したとはいえ、元スナック
だったトタン系プレハブ様式昔風店舗であることに変わりない。入り口ドアーの
小さなガラス窓からは、裸電球が一つ点いているのが見えたが木村さんは不在だ
った。愛用チャリがあるから近くでヒマでも潰しているのだろうと思った。入口
ドアには水道の蛇口が上下に2個付いていた。栓をひねってみたが、勿論水は出
ないし、ドアも開かない。木村先輩はいつまでもシャレ者だ。
 夕方、あとから携帯に電話が掛かってきた。試しに店用電話に掛けてみたその
コールバックだ。不在時には携帯に自動的に変換される仕掛けらしい。
「オレさぁ、今ボクシング習っているのよ!」と嬉しそうに言う。「ボクシング」
というコトバと「習う」というコトバと、あのキムラさんという人生は一瞬には
どうしたって結びつかない。ウムー、きっと毎日ビールを飲みまくって、そのた
るんだハラでも引っ込めようとしているのか、いまさら全く意図が不明だ。
まぁしかし、アタシの知ってる唯一の超有名人であり、尊敬できる人だから迂闊
なことは言えないし、ボクシング教習生だから怖いのだ。
⑤今年の正月明け、懐かしい人から電話を貰った。元アタシらの仕事仲間で、台
本を書いたりその演出をしていた人だ。13年程前にこの業界から足を洗い、今
は老人介護施設で企画的(?)な仕事をしている。一寸したエピソードが新聞の
小さな囲み記事になって、それを読んだことをその時に話した。
 彼女が働いている施設が、帰り道に少し遠回りをすればある。信号がほとんど
無いという意味では近道ともいえる。その道を通って、確かめてみたいと思った。
違う世界で13年を生きた、多分いまも独身の、優しい心遣いのできる、そんな
彼女の職場の建物とは、外景とはどんなものであろうかと。そうすることで彼女
が映像の仕事に見切りをつけた、その心の内が解かるのかも知れないと思った。
勿論直接訪ねたりすることはしないし失礼だ。玄関先では丁度ご年輩の車イスの
方が数人、専用車に乗り込むところだった。とても静かな、ゆっくりとした情景
があった。
 ともかく彼女は、13年はここで身をたてていたことが分かった。

 いま1枚の図書券では、1冊の文庫も買えない時代になったようだ。
アタシは1枚の図書券に現金を足して、本の在処を教えてくれた美人の店員さん
に渡した。ポイントカードを提示するのを忘れていたが、「持ってますか」と笑
顔で云われた。

 多分20年振りに出版社へ電話をした。2回目の経験だ。
1度目の「深夜特急 第三便」はいつ出るのかという、少し抗議めいた、苦情め
いた、不満を声に表した新潮社編集部への電話の件は、少し前のブログに書いた。
 2回目の今回は、あくまでも作家へのファン心理に基づいた、問い合わせ的兼
指摘行為の好意だ(笑)。電話をするとネムたげな声で編集部の年輩オジさんが
でた。文庫本の誤植あるいは同じ意味の変換ミスではと、アタシは静かに言った。
アタシが25年は読み続けている好きな作家の文庫にあるまじき、極めて堂々と
したミスを、云わずにはおれなかったのだ。
 60秒以上は待たされて、全く同じ雰囲気のオジさんが取り次いだ。出版社の
午後4時とは、こんな感じのオジさんしか居ないのかと疑問が湧いた。なにかこ
うテキパキとした、しかし声は優しくて、頭の良さそうな、声で美人と判る女性
に替わられなかったことは不運だった。

 それは買った文庫の、エッセィに所収されていた短編の、大事なつかみの書き
出しの、3行目に全く堂々と印刷されていた。
 「叔父さんの恋」(文庫本 P-175)から
<タバコをくゆらしながらモニター・テレビを見ていた店長がふいに笑い声をあげ、咲ちゃん、と私を読んだ。自慢の弟が来ているぞ。>とある。
 しかしどう解釈した処で、前後を何度も読み返しても文脈からは、<咲ちゃん、
と私を呼んだ。>だ。
 著者にはなんの罪もないし、原稿段階での間違いとは考えられない。単行本で
先に出版した〔岩波書店〕刊ではどうなっていたのでしょうね、などとオジさん
はネボケタことを言った。アタシは好きな作家には甘いので、謙虚にしかしキッ
パリと次刷では直りますようにと云って電話を切った。もし著者が、このことを
知ったら心痛めるであろうことが、アタシは悲しいのだ(笑)。

 なんだか長いブログになったが、実はもう1冊同時に買った。
前から読みたかった新刊小説が、当然その店に在った。
その本のことはまたいずれに、です。

 「豚を盗む」 著者 佐藤 正午  光文社文庫  定価590円+税
  ( 2009年3月20日 初版1刷発行 )
 ※しかし正午さん、気持ちは分かるが「象を洗う」もそうだが、もう少し
  このタイトルはどうにかならないものでしょうか。


Kisei さん

2009年04月22日 | 古本
 この本は、この本のデザインによくある類いのコーナーに
置かれていた。なんの期待もなしに手にしたが、知らなかった
ことを恥じ入るべき本だと、読み始めてすぐに分かった。
 ほかの古本屋にも同じようなコーナーの棚に1冊はある。初版後3年5ヶ月で
23刷重ねたことがうなずける。
 当時も今も、陸つたいでは行けない日本の地形は、どこかの港から、どこかの
空港から多くの若者が手段を講じてアジアに旅立っているようだ。そして何ヶ月
か何年かの歳月を経てある者は帰国し、ある者はその地に留まる。旅への動機も
意思も、それぞれ日常の葛藤から発生するのは、今も昔も変わらないようだ。
インドやネパール、タイなどで出合った日本人の旅群像に触れ、写真を撮った。
 そして、著者の小林 紀晴さんてひと、温かい人柄と他者との絶妙な距離の図
りかたが心地いい。それは文章と写真に滲みでている。彼はアジアの続便を書き、
写真を撮り続けても、それを〔最終便〕とはしないだろう、そんな気がする。

 小田 実、藤原 新也、沢木 耕太郎、小林 紀晴と並列に並べたって、アタシが
知る限り、まだ他にいるとしても、それぞれの存在は等分といっていい。
(勿論方向は違うのだが) アタシはいい本に出会った。

「ASIAN・JAPANESE」写真・文 小林 紀晴 定価1359円+税
  ( 情報センター出版局 1998年10月22日 第23刷 )

あらよっと

2009年04月19日 | 古本
 吉岡 忍さんが書いたのだから、手にしたと言うべきだろう。
アマいタイトルだったが、前半はおかしくて笑える。
タイ北部の貧しい村で生れたカンティア・アサヨットは
13才でバンコクに家出的南下。そこで日本大使の娘〔ユウコ〕になりきった。
なんだか〔アラヨット〕という具合になりきった(笑)。オジサンも大学生も、
あまり被害のない騙されかたをした。約100日後にそれはバレることになるの
だが、そこまでの顛末が面白い。
 まぁしかし、単行本になるだけの内容としてはいかにも苦しい。文藝春秋に3
回くらいの連載ですんだハズで、後半は冗長に過ぎた。
 吉岡さんほどの書き手でも、まぁ時にはこんな作品もあったのだろう。

 「日本人ごっこ」 著者 吉岡 忍  文藝春秋 定価1100円
  ( 1990年10月20日 第9刷 )

パンツ考

2009年04月17日 | 古本
 上野 千鶴子を読んだのは、この本が始めだった。
もう十数年前のことだったが、衝撃的に面白かった。
写真も豊富で、なるほどそうか、なるほどナーとしみじみ思った。
男と女の下着を通してみた、パンツ文明史考察だ。文章だって遠慮なく放送禁止
用語がでてきて、納得する。
 
 裏カバーにはこんな宣伝コピーが―。 ≪―女と男の非対称性に深く立ち入り、セクシュアリティの本質を下着の歴史を通してあざやかに描ききって大きな反響
をひきおこした、セクシュアリティの文明史。≫
 上野さんは「おひとりさまの老後」がすっかり有名になったが、まずはこの本
から読むのをおススメする。(その他にフェミニズム論系著作は多数あり)
母親から自立できない男の子も、ダンナさんから解放されない女性も「毛語録」
を手にして叫んだごとく、この文庫を手に掲げ「愛のカクメイ」のために、立ち
上がろう。(笑)

※いま「プリンセス・マサコ」にかかっているので、タマには昔読の次第です。

 「スカートの下の劇場」 著者 上野 千鶴子  河出文庫 定価480円
  ( 1993年1月21日 5版発行 )

ト ラ 技

2009年04月14日 | 古本
 ウィークディ日中の新刊書店は、人が少なくて全く気分がいい。
休日では週刊誌など立ち読みしょうにも、人がふさがっていて手が
伸ばせない。そのてん平日の昼下がりはオールオープンで、週刊
文春はシーナさんの連載〔赤マント〕がまだ続いていることが
分かるし、おお「トランジスタ技術」(月刊誌、通称トラ技)はまだ元気に発行
が続いているのだと感激する。
 500円の図書券が手に入ったのでたまには新刊でもという意気込みだったが、読みたい本は当然のように普段買う古本の何十冊分もの金額だ。是非とも今すぐ
本と、アテにしていた本はなかったので、とりあえず全体に発行状況を観察。

 沢木 耕太郎「旅する力」の帯には、大きなキャッチコピーとして≪深夜特急
の最終便≫となっていた。すると、やっぱりあれは第4便ではなく最終便だった
のか。しかし、では沢木さんはもう≪最終便≫なのでしょうか。1号線を北上し、
旅を続けていた稀有なノンフィクション作家である沢木 耕太郎さんは、もう既
に最終便だとしたら、それはあまりにも寂しい・・・。

イナダ さん

2009年04月11日 | その他
 イナダさんの新聞夕刊に書いているエッセイがとってもいい。
※〔イナダの毒の壺・薬の壺 劇団イナダ組代表 道新金曜夕刊〕
至極正しくて真っ当なことをストレートに言っている。
新聞という制約などブチ壊して、もっともっと過激に発言してもらいたい。
遠慮なく自由に毒々しく加筆して、まとめて単行本にでもしてくれたら熱烈に
拍手を送って、古本屋に出回るまで待たずに買うことを約束します。そしたら少
しでもイナダさんに印税が入って、多少は貧乏の解消になるのでしょうか(笑)。

よ み 力

2009年04月09日 | 古本
 2008年11月発行のこの本が、すでに半額になっている。
付いているであろう帯がないから半額なのか、
半額にするから帯は外せということなのだろうか。
どちらにしても、沢木さんの著作をほぼ全て読んできたアタシには、昨年末時期
の発刊が2分の1なら是非もない。帯にはどんなコピーが書かれているのか、そ
れは新刊書店で確認すればいい。

<やはり旅にはその旅にふさわしい年齢があるのだという気がする。たとえば、
私にとって『深夜特急』の旅は、二十代のなかばという年齢が必要だった。もし
同じコースをいまの私が旅すれば、たとえ他のすべてが同じ条件であったとして
もまったく違う旅になるだろう。> -241ページ本文より引用ー
 アタシも全く同感だ。異存はない。だが、だとしたら旅と同じく著作物もまた
おなじことが言えるのではないだろうか。この本が「深夜特急」の第4便だとす
るなら、少なくとも第3便のあと2、3年の内に書くべきではなかったろうか。
第1便と第2便の6年後に第3便がでて、さらに16年の後にこの「旅する力」
という〔深夜特急ノート〕がでたことになる。なにもアタシはそれが待たせすぎだ、といいたいのではなく、つまり時間が経ちすぎたことによるその時点での
感性やみずみずしさを失い、なにか醒めた、悪くいうならただの自慢話めいたも
のを今になって書いているとしか思えないのだ。16年を過ぎたからこそ書けた、あるいは寝かせていたことでより意味が膨らんだ、とはとても思えないのだ。

 沢木さんもヨワイ60歳を過ぎた。彼と一緒に歩み育ってきた編集者達は、既
にリタイヤしたか管理職だろう。すると今の若い編集者たちは、沢木さんには何
も云えない様子が窺がえるのだ。それは沢木さんが初めて書いた小説「血の味」
(2000年11月20日 新潮社刊)を読んだ時にも感じたことだった。
 どんな大作家も全著作が大傑作とは限らないように,「深夜特急」の「第4便」であって欲しかったこの「旅する力」は、楽屋自慢ノートになってしまった。

 「旅する力」ー深夜特急ノートー  著者 沢木 耕太郎  新潮社  
 ( 定価1600円+税  発行 2008年11月30日 )

つくづく

2009年04月06日 | 古本
 アタシが時に百円だ、五十円だ、十円だったと書くのは、
金に細かいからではない。百円や五十円や十円で、かくも面白い
本に巡り会ったことに感謝したいからだ。
缶ジュース1本分の金額で、それを飲み干す何倍もの時間を楽しませ、味わせて
貰っているからだ。「!?違います・・・」で切れる1度数分の電話代の金額で、
違わなかった相手と、何時間も話せるほどの話題を共有共感できるからだ。

 考えてみると、百円棚は勿論それ以下の金額も含めて、つくづく不思議だ。
もしこの本が定価だったり半額なら、アタシは棚から取り出して手にすることは
なかっただろう。いわば1ドルという金額でなければ、アメリカ人の、アタシよ
り遥かに年上の、3人の子育てをした、時々「ニュヨーク・タイムズ」や「ワシ
ントン・ポスト」紙にコラムを書いている、フィルス・セルーという女性が書いた、邦題「眠れぬ親たちのためのベットタイム・ストーリー」という、少し気恥
ずかしいタイトルの、このエッセイは読まなかっただろう。

 一寸油断して読むと、全く逆な意味になる比喩や、回りくどい理屈の言い回し
は、アメリカという文明国の育児や近所付き合いが難しいということを物語る。
ふたりの子を養子にむかえたあと、実子が生れた。離婚のあと子供たちを育て、
観察して分析し、自分をも見据えた。それはただの親バカ育児記録ではない。
巧みな文章と表現は、育児、家庭、教育問題というアメリカ社会を鋭く衝いた。
この本が1ドルなら、手に取ったきっかけとして十分に素晴らしい。

 「眠れぬ親たちのためのベットタイム・ストーリー」 中央公論社
  著者 フィルス・セルー 訳者 西野 薫  定価1650円
  ( 1991年10月7日 初版発行 )