BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

しくった。

2010年02月28日 | 古本
 ラジオから流れた一寸した情報を聞いてしまったのが、この半額系に手を出した敗因
だ。本来ミステリィーやSF,ホラーや推理系にはどんな興味もないのだが、あまりの
誉めように意思がぐらついた。均一系の収穫不足は読書飢餓を救えないのだ。(笑)
 全6章(P-268)の内、面白いのは「第1章 聖職者」(P-53)まで。
事件に関係したそれぞれの当事者が(子供も含めて)第2章以降 語り始める。それが
決して物語を深く大きくしていくものにならず、アングルを代えただけの話に留まって
いるのだ。
 途中で投げ出したりはしなかったが、別作品を読みたい作家の分類には入らず、考え
てみるとこうして手を広げれば広げるほど、読みたい人が少なくなっていくのが寂しい。
 偏狭で偏狂な読書傾向は、辺境な地に読者(オイラ)を追いやるんだね。(笑)

 「 告白 」 著者 湊 かなえ  双葉社  定価1400円+税
  ( 2009年1月20日 第17刷発行 )
   ※( 約半年で17刷は売れてたのね、うむー。)

葉 の 先

2010年02月26日 | 古本
 多くの人手を渡って来たのだろうか、この本には汚れにも風格がある。

 東京でも札幌でもライブ演奏を見たが、舞台袖から歩いて来るなりイスに座る間もな
くいきなり容赦のない鍵盤連打だ。一体ジャズプレイヤーたちの頭の中は、どんな構造
になっているのか。きっと大容量のメモリーチップでも、埋まっているのだろう。(笑)
 ただ山下さんの文章は普通に書いても十分に面白いのに、今作の書きようは少々疲
れる。例えば自分のことを野暮舌 呆助だし、歪谷 しげる、忌野 狂四郎、放尿ガール
ズ、地名は景品蕩北線、皮裂駅前、沈宿好青年金会館みたいな全篇がこうズージャの
世界。それを実在の人名や地名に読む者がアタマで置き換えるのが面倒なのだ。
 後半は「野暮舌教授のジャズ特講」という架空の女子大生特別講義、そこから紙質
が赤になる。赤紙に黒文字は〔赤字〕というべきで、装丁で遊ばれるとアタシにはそ
れも読みづらい。

 221ページに <葉っぱの先の揺れを記録しているうちに木や森の形はどこかに失
われる。>と書いてある。うむー、これは最近みたある映画を言い当てているが、流石
に山下 洋輔さん 15年も前にすでにICチップには書き込まれていたらしい。(笑)

 「風雲ジャズ帖の逆襲」 著者 山下 洋輔  東京書籍  定価1400円
  ( 1995年9月1日 第1刷発行 )

ワカラン

2010年02月22日 | 映画
 解かるけど「ワカラナイ」は分らない映画だ。
全体のストーリィには異存はない。あんなこともアリだとは思う。しかしそもそも映画
に仕立てる意図においては、観客に分るように表現すべきだろう。分かる人だけ分かれ
ばいいというのは小林 政広監督のいつものやり口だが、いつもそれが正解になるとは
限らない。観客への突き放しかたが、どうだこれくらいは想像力を働かせろ!と言わん
ばかり。前作「愛の予感」では、男がコンビニから買ってきたモノが何であるかを分ら
せなかった。(携帯電話だったらしいのだが、それを分らしめるカットを入れたとして
も映画的な不利益にはならないのに)今作もまた展開上重要な手札版の写真をロング
でしか見せない、ケチのくささだ。なにかこう頑なな方法論に陥った、了見の狭さが
全体を支配している。
 1シーン1カット主義があまりにもあざとい。室内から室外へのカメラ移動ショット
もレンズの露出はそのままで、ゆえにそのシーンは露出オーバーになる。それは前作
の「愛の予感」においても同様だ。それがどれほどの意味か、アタシは戸惑う。
 母親の病院代や簡素な葬儀費用がない少年(母子家庭)のありがちな貧乏は、映画
全体への映画的貧乏性へ発展した。別れた父親役(?)としてでた小林監督は、誰が
みても明らかなミスキャスト(ジジくさすぎ)で、ほかに適役者は居なかったのか。
豪邸と、妙に若すぎのいい女と、ガキひとり、これも話しがつながってみえない。
ラストの父親(?)に走り寄るシーン、長い一本道は蛇足に過ぎる。

 冒頭、テーマ曲一つ分の歌の尺で延々と黒画面がつづく。あれは絵画展の、額に入
れたカガミのごとし禁じ手だ。厳しく言うなら、映画を撮ることの放棄であり、サボ
タージュ。それに17才の年端もいかない少年に、あんな芝居のクセをつける演出は、
彼のこの先の役者人生が心配になる。
 アタシは「愛の予感」を激賞しただけに、この落差に うむーなのだ。

 「ワカラナイ」 監督・脚本 小林 政広  2009年  カラー104分 
  ( 主演 小林 優斗  モンキー タウン プロダクション )
 

ナンシーさん

2010年02月19日 | 古本
 うむー、まんまと一杯喰わされた。
どうやらナンシー関さんの自伝は、面白冗談フィクション自伝だったようだ。真相を
確かめたくて、昨年夏刊のまだ新しい本を半額系にもかかわらず買うはめになった。
 オホーック海離島にある紀陰島小学校に入学、その6年生時の修学旅行は北海道へ
2泊3日だったと。出発は村の有志が出した4隻のイカ釣り船に分乗して渡ったと、
念が入ってる。そこで最終見学地「北海道の歴史博物館」で「伝統民芸・米絵」に出会
ったという。これは米粒一つに毛細な筆で画を描くワザで、実は父親が描いたものだった、
というオチだ。その冗談フィクションは本の頭から48ページまで続く。
 アタマだけ立ち読みしたアタシはなんの疑いもなく、はて紀陰島とはオホーックの何処
に在るのだということにばかり気がとられた。
 しかしそれ以後の本の半ば、修学旅行は青函連絡船に乗って北海道に渡ったと書いて
いる。それは1973年の頃のハズだから、冷静に考えればイカ釣り船などありえない
のだ。きっと生れた青森から連絡船で渡り、函館・登別・札幌あたりに行ったのだろう。
 全くとんだ自伝だったが、しかしもうあのナンシー彫りに会うことや、テレビ評コラ
ムを読めないのが、しごく寂しい。

 「ナンシー関 リターンズ」 著者 ナンシー 関 世界文化社 定価1200円+税
  ( 2009年6月30日 初版第1刷発行 )

紀 陰

2010年02月17日 | 古本
 こう毎日寒いとは、今年の暖冬予報はどうなってんの?わが朱鞠内は3メートルに
近い積雪だという。気温も平均でマイナス20度くらいか。まぁこうなると、クマの
冬眠のごとく丸くなって本でも読むしかない。

 立ち読みしたナンシー関 さんの近書に、生れはオホーック海〔紀陰島〕だと書いて
あった。さて、あのオホーック海に島など有ったろうか?千島列島のどこかにでも隠れ
ている島ことを言っているのだろうか、どうも分らない。ナンシーさん自体も謎めいて
いるが。
 まぁしかし、よくもあんなにテレビを見ていたことに感心する。ある意味 命を削って
テレビを見ることに格闘していた。もし今もご存命なら、いまのTVプログラムをどう
書いただろうか。およそ1500字、例の似顔絵消しゴム版画で説得力を増す。
 古本屋さんの気まぐれな本の在りようは、シリーズ①が読めてないのがざんねん。
そして⑥以後が果たして有るものなのかどうか。あるがまま、流れにまかせ、でも目ざ
とく、アタシは正しい均一棚列伝を歩むのです。

 「テレビ消灯時間②」(1998年9月10日 第1刷) 定価1143円+税
 「テレビ消灯時間③」(1999年10月25日 第1刷) 定価1190円+税
 「冷暗所保管④」 (2000年10月20日 第1刷) 定価1190円+税
 「雨天順延⑤」 (2001年10月30日 第1刷9 定価1190円+税
  著者はいずれも ナンシー 関  文藝春秋
  注 ※ナンシーさんは2002年6月12日に、突然の病気で亡くなられた。39歳
    プロフィールには青森市生まれとなっているが、近書には確かに紀陰島で
    生れたと自分で書いてある。うむー、近々また調べます。

ケッヘル

2010年02月12日 | 古本
 近くの新刊書店に行くと新しい本が山積みだ。汚れもなく、カバー帯やしおり、読者
カードもセットされていて、いつもその逆に接するアタシはどうも少しテレるのだ。
 チョットばかり探しただけでも、アタシの好きな作家さんが続々と新刊を出している。
シーナさんも佐藤 正午さんも読み応えありそうな厚い本だ。大崎 善生さんは上下2巻
組で勝負している。まぁしかしアタシは自分に果たした掟を破ることなく、ここは指を
くわえて静観するしかない。

 そこで久し振りの南方大型古本チェーン店の均一棚、そこを丹念に探す。そこは大体
の整理がいい店なので、作家別に有り無しをチェックすればいい。ただしやはり時には
シーナ本といえどもとんでもないジャンルの中に留め置かれているから油断ができない。
 今回の収穫は8冊、シーナ本及び関連本がその内4冊。そのとんでもないあさっての
方向均一植民地に、探していた長いタイトルのが1冊在った。発行は1981年4月で、
「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」文字数で17字、発音は25文字だからこの
段階ではアタシの本棚で、一番長いタイトル文字数記録だ。(文字数だけでいうならも
っと長い「ロシアにおけるニタリノフの便座について」という19文字がある)

 もしシーナ本が300冊あるとするなら、正統派新刊即購入椎名誠文学研究者代表
は、もうこの辺でタイトルの他に番号を付けることを出版社に進言すべきだ。つまり
モーツァルトをさんざん聴いたケッヘルさんが、年代および作曲順にケッヘルナンバー
をあみ出したようにだ。
 たとえばシーナさんの S を頭文字にしてS-1からS-300~まで。改題や文庫
化は S-183の1ダッシュという風にダッシュを増やせばいい。そうすると手持ち
の本の S ナンバーを乱数表のように照合すると、重複買いなどが防げる。(笑)
 厳密純粋単行本93冊、関連・対談・文庫で23冊。これが今現在の在庫でもう一息。

 「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」 著者 椎名 誠  本の雑誌社
  ( 定価1440円 1981年4月30日 初版発行 )


 

無 変 調

2010年02月10日 | その他
 こうしてしみじみ、当欄など書けるのはすっかりラジオカロスのお陰だ。
番組が聴こえるというよりは、ラジオがなにか鳴っているという感じだ。無駄なお喋り
が少なく、だからアタシの読書ははかどるし、ボーッともできる。
 時々の曲のスッ飛びも、とっちらかった運行も、何十秒もの無音も鳴っているだけで
良しと思えば気にならない。そして数少ないCMのリピート。(その分しっかりCMは
耳に届くが)つぶれるなカロスよ!・・・。
 三上 寛の「別れたんだってなぁ・・・」で始まるセリフだけの曲は今年2回も聴けた。
スタッフか聴取者の誰かにファンがいるのだろうか。この曲をかける勇気を称えたい。

 しかしどうしてああ番組ごとに音質,音相が変わるのだろう。 それは機械と人間の
気紛れ?行き当たりばったり、出たとこ勝負、緊張のない(緊張にはそれなりのコスト
がかかるのだから、理解できる)鳴っているラジオ。まぁそれも、まぁそれでいいのだ。

圧 倒

2010年02月08日 | 古本
 古本屋さんの入口で、何度も手に取り2週間は迷った。
以前さんざん悪口を書いた、例の入り口の棚に在ったからだ。しかしわが偏狭な読書
傾向は、このところすっかり収穫が少ない。この際仕方なく、しかしそれでもひょっと
すると、これは掘り出しもんかも知れないと覚悟を決めた。
 定価は1575円だった。それが945円になっている。まだ発行されて3ヶ月と思
えば納得出来ないことも無い。(常々作家さんの印税にはなんの貢献もしていないこと
が後ろめたい)しかもカバー写真は美人で、しっかりこちらを向き、目を逸らさず捕え
て離さないのだ。ここまで美人に見つめられると、写真とはいえアタシは弱いのだ。
そしてその写真を撮ったのは、インパラも含めてあの小林 紀晴さんだ。そんなことの
偶然が(必然かも)が嬉しくて、レジカウンターへ持って行くことにした。

 カバー帯で開高 健賞の5人の選考委員が、推奨言葉を書いている。佐野 眞一さん
は「―ここまで深い世界観を持った日本人女性を生み出した」と書いている。そうだ、
若い日本の女性もついにここまで来たのだ。こんな作品に出会うと、芥川賞受賞の若
い ヘナチョコ バカネエチャン作家どもなど、クソくらえと思わせてくれる。(笑)

 中国大陸を渡る列車のなかの便器、彼女は先人の残した山のようになった糞を棒で
倒し、その上にまた糞を重ねた。その力強い振る舞いに敬服の涙がでるのだ。(笑)
 早くもアタシの本年度圧倒的ナンバー1候補だ。 これはもう現代の純文学だ!

 「インパラの朝」 著者 中村 安希(なかむら あき) 集英社 定価1575円
  ( 2009年11月18日 第1刷発行 )
  ※ 第7回 開高 健 ノンフィクション賞 受賞作 
 

確 信 犯

2010年02月06日 | その他
 あらら?・・・ やっぱり あざらしさんたら・・・。
体裁つけられて2月5日付 北海道新聞夕刊のエッセイ欄は中止で、別人に代わると
書いてある。4回戦で掲載終わり、まぁ現職知事に4連発の廻し蹴りを入れたらそりゃ
当然圧がかかるでしょう。と、いうことは明白だ。道新も中々気骨あるエッセイを載せ
るもんだと感心していたのに残念。
 あざらしさんも確信犯だから覚悟はしていたと思うけど、4回で打ち切りとはきっと
新記録でしょう。あざらしさんこの勲章が一つ増えた打ち切りのご事情は、しっかりと
何処かで書いて下さい。
 しかしだ、はるみちゃんも相手はか弱い文筆の男だ。笑って済ませる度量は無かった
ものかなぁ・・・。 600字じゃ短くて愛が伝わらなかったのね。
 ここはひとつ、4回も載せてくれた道新と、4回も書いてくれたあざらしさんと、
それに4回も耐えたはるみちゃんにも、ど~も とエールを贈っておこう。(笑)

産 婆

2010年02月05日 | 時と事
 雪が多くて深く、寒い占冠村は、4日にあっさりと今年の最低気温を記録更新した。
氷点下34,4度になった。落語などでよく「言葉を発した瞬間に凍ってしまう」と
あるが、それは本当だ。つまり言葉すら発することが出来ないという例えでだ。
 そこでアタシは占冠のある想いに巡りつく。

 その人が村の村長だったことは、歴代村長一覧で調べても確認できた。
1967年から1977年までの10年間で、多分3期目の任期なかば、病に倒れてあ
っけなく逝った。村長選挙があって当選したのかどうか、そこまでの記憶はアタシには
ない。ただ相手が誰であれ、当選したのには違いない。なんしろ当時約3千人の村民
のほとんどが、その人の奥さんの世話になっていたからだ。つまりその人の奥さんは
産婆(助産師)さんで、その村で生れてくる命の大多数に係わっていた。その村で唯一
の助産師さんは、時に看護婦さんであり、保健婦さんであり医者でもあっただろう。
村人の健康や生活相談にもハキハキとした物言いで行動し、頼られ信頼されていた。
勿論村長本人も人格ある知識人で、豪快な話しぶりを憶えている。
 90歳を越えたチヨ叔母さんは、晩年を隣町の富良野市の息子の元にに移り住んだ。
だが昨年末、正月を目前にして力尽きた。ことしの寒さには耐えられないかのように。
 占冠村の村長だった小川 一男さんと、見事な生きっぷりの産婆だった小川 チヨさん
をアタシは忘れない。