BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

廃 屋

2008年10月21日 | 古本
 写真集を古本屋チェーン店で探すのは無いものねだりだ。
アイドルものならいざ知らず、藤原さんのはなお更だ。
従来の古本屋さんで探す手ももあるが、一般に元々の
値段が高くてアタシには手が出ない。ならばここは大きな図書館に頼るしかない。
そして流石にある。一週間くらいかかる時間を我慢すれば、近くの図書館で受け
取れるのはありがたい。こうなったらもう図書館の悪口は書けないか。以前書い
た悪口の25%を取り消す。(以前50%と今回25%を取り消したので、あと
25%の残りがある。いずれ・・・笑)
 
 荒野に取り残された廃屋ほど、郷愁を感じさせるものはない。それは自分の中
にも廃屋を持っているからだろうか。その家にうごめいた人間の生活の歴史を
想像出来るからだろうか。かっての住人は何処から来て、何処へ去ったのか。
できることなら家の中へ分け入って、その営みの痕跡を拡大してみてみたいものだ。一枚の皿とカップ、片方の靴下と壁に貼られている最後の年のカレンダー、
もしそれらが無いとしても窓や戸、間取りから類推することは可能だ。残されて
いた全てのものに、民族や地域を問わず意味と価値があるのだと思えてならない。

 藤原さんは「あとがき」にこう書いた。
<また本書には、私のはじめての小説『ディングルの入江』の中から抜粋した言
葉を髄所に散りばめているのだが、、その言葉と写真の響き合いによって扉のむ
こうにまた異なった風景が見えるとすれば、物事にはたったひとつの扉しかない
のではなく、意識の持ち方によって、そこにはいくつもの扉が開かれているとい
うことを表しているにちがいない。>

 「風のフリュート」 藤原 新也  集英社  定価2400円+税
  ( 1998年1月31日 第1刷発行 )

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。