BIN山本の『映画にも程がある』

好きな古本との出会いと別れのエピソード、映画やテレビ、社会一般への痛烈なかくかくしかじか・・・

3月31日の大雪

2008年03月31日 | 仕事
 2006年3月31日、丁度2年前の今日の事だった。
アタシと照明部の二人は、朝 帯広へ向かって出発した。
ある作品で、馬の出産を撮る為 札幌からの前乗りだった。
通常 帯広までは車で4時間の距離だ。朝からの雪は本格的に降り出して、高速の
道東自動車道は追分町のあたりから通行止めになった。一般道に下りて国道274
号線を走る。日勝峠も通行止めになり、日高町からは大きく迂回し狩勝峠を行く
しかない。真冬と同じ雪は容赦なく降り積もり、峠の道中では数限りない事故を
目撃した。北海道中、その冬最後の大雪にみまわれたのだ。
それでもどうにか 普段の3倍、12時間かかって宿に着いた。
 翌日からは出産シーンのため、毎夜 馬の厩舎に張り付いた。たいがい馬は
夜中や明け方に生れることが多いからだ。しかしやはりだ、そんな時に限って
予定日が来ているどの馬も、その気がない。一週間粘ったが、2回目だったこの
張り込み待機作戦も、カラ振りに終わった。
 それは、この作品の行方を象徴する出来事にもなってしまった。
その後何度も通って撮りだめした、いろんなシーンの素材はすべてムダになった。
つまり、その作品はお蔵入りとなったのだ。
元請けだった東京の制作プロダクションは、そのあとに倒産して、昨年のきょう
3月31日 アタシは14年間所属していた 事務所を退いた。
この先も毎年の3月31日、あの大雪と あの作品のことを思い出すのだろうか。
そして あの日と同じように いま西野に 雪が降っている。

時 に は

2008年03月29日 | その他
 仕事に追われていたワケでもなく、何かに没頭していたワケ
でもなく、勿論ボーッとしていたワケでもなく、ヒマをモテ
あましていたワケでもなく、1日一冊以上の図書館本を読んで
いたら、一週間経ってしまった。
まあ少々お疲れで、こんな週も時にはあるというワケです。(笑)
 この間、10円 52円 105円 〆て167円 3冊の厚めの本を
確保してある。 が、まったく あたまが 冴えません。

N ・ H さんへ

2008年03月24日 | 公演
 このブログ、時には特定の誰か宛だったり
不特定の誰でもなかったりする。

 「 D-夜のないマチー 」なかなかいい[ 作 ]だった。
前後の映像上映も効果的で、内容を膨らませた。
夜のないマチなら朝もないし、明日もない。
D と呼ばれるマチのヘブン広場、そこの死刑囚たちに与えられた
特別な場所の普通にみえる、わずかな日常。
そこにある愛も 祈りも 悔恨も 「 死刑囚に生命保険を! 」
というほどに、あまりにもブラックだ。
神は死にたがる奴を生かし、生きたい人の命を奪う。
 この作品、いずれに再演をみたい。照明のトラブルがないコヤで、
もっと予算をかけて、役者を整理し、刑務官の話しを膨らませた
そんな[ 極 ]の芝居をみたい。[ 極 ]は十三階段を上がらずにいて欲しい。
 そして「 休団 」して上京する H さん、あなたに多くのチャンスと、
そのチャンスを掴み取れる 幸運を祈るばかりです。
 餞になる いい芝居に出演しましたね。 

 劇団 極 「 D-夜のないマチー 」 作:橋本一兵  演出:滝沢 修
  ( 2008年3月19日~23日 全7回公演  於 ATTIC ) 

泣きっ面に 酒

2008年03月22日 | その他
 泥棒に追銭、弱り目に祟り目、青菜に塩、泣きっ面に蜂、
命運が尽きる、闇討ちを食らう、割を食う、知る限りの
どれほどの慣用句を並べても、それ以上に彼はツイていない。
当ブログ登場3回目、I さんの近況だ。彼はネットカフェ難民化していたのだが
そこで車上荒らしに遭った。いろんな犯罪があろうとも、親の介護のために
車上荒らしをするヤツはいないだろうし、その意味で重罪だと 彼は怒るのだ。
被害は甚大で、窓ガラスを割られ、昔に買ったスーツやシャツ類、各種カード類、
会社の印鑑類、日用品など全て盗られた。その被害届や作り直しに多くの時間と
エネルギーを費やした。その後日に車もエンスト故障、修理代がダブルで発生。
そこで上記の慣用句集団登場となったのだ。しかし I さん酒を飲む気力は十分で
電話をくれたのだ。昨年一級建築士に合格した Y さんも交えて、永延と8時間
のロング飲み会となる。(今回、アタシの記憶は ほぼ正常だった。笑)
 写真は昨年の5月、Y町で I さんがやっていたスナック「O・S」の店内。
微妙に I さんが下手にいる。なんしろ飲んだときのデジカメはイイカゲンだ。
 果たして、万事塞翁が馬となるのか、アタシらの命運は怪しい。


貧乏の修羅場

2008年03月21日 | 古本
 「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」
 「気がついた時には火のついたベットに寝ていた」
この恐ろしく長いタイトルの本は2冊とも、ロバート・フルガム
氏の著作だ。ユーモアと皮肉と機知と誇張と比喩と知恵と示唆に富んだ自在な
文章は、そう悪くない。幼稚園にも行かず、近くに砂場なども無かったアタシは
大いに勉強になった。(笑)
 著者はあらゆる種類の仕事をし、そのどれにも一途でなかったことが幸いした。
深い洞察力で人間を観察し、それをメモした。カウボーイ、フォーク・シンガー、
IBMのセールスマン、画家、牧師、バーテンダーなどを経た、素人哲学者を
自任する。そして今も将来は何になろうかと考えている。
ただ、牧師時代であろう時のハナシは、アメリカ的で少々鼻白む。
あくまでも地球が中心の天動説や、人間の先祖が猿である事を認めない宗教の、
その宗派の結婚式は、どう書こうともアタシは楽しめないし笑えない。
 さてアタシは「人生に必要な知恵はすべて貧乏の修羅場で学んだ」という
タイトルの本でも書こうかしら。(苦笑)

「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」 著者 ロバート・フルガム
 (河出書房新社 定価1500円 1990年8月31日 14版発行)
「気がついた時には火のついたベットに寝ていた」 著者 ロバート・フルガム
 (綜合社 定価1400円 1991年2月25日 第1刷発行)
  ※ ちなみに「気がついたー」の訳者は 浅井 愼平さん

家計なら?

2008年03月18日 | 古本
 おっと、これは鎌田さんが太宰を?と一瞬思った。
でも考えてみれば同じ津軽の弘前市出身と金木町だから、
不思議はない。以前仕事で青森に行った際、斜陽館へ立ち寄った。
多分カラオケの撮影だったから、1990年代の早い時期だったと思う。
むかしむかし、夢中で読んだ作家のこれが生家なのかと、なんだか興奮した。
実際に太宰氏はこの家で(今の斜陽館、勿論その頃はその名にあらず。)生まれ
育ったのだ。で、この本は副題名として『太宰治を生んだ「地主貴族」の光芒』
とある。どちらかというとその副題に添った流れで、実質的に家長であった津島
文治氏や、さらにその先にある家系の記述が多い。本のタイトル通りの内容で
文句をいう筋合いではないが、そうダザイダザイはしていないので少々肩透かし。
アタシは文治氏のハナシなど、どうでもいいのだが。(笑)
しかしだ、生れや育ちってそんなに人の人生に、強烈な関与をするもんですかね。
家系だの出身だの、なんの興味もないアタシとしては ウヘー、って感じ。
だいたいだ、食いモノと 着るモノと 家系(家計?笑)を語る(自慢する)
ヤツはオレは嫌いだ。 くりかえすが、オヘー、ってカンジ。

『津軽・斜陽の家 太宰治を生んだ「地主貴族」の光芒』 著者 鎌田 慧
 (祥伝社 平成12年8月5日 第4刷発行 定価1700円+税) 

さんどう くにこ

2008年03月16日 | 古本
 その本は少しばかり横長で、棚からはその分はみ出ていて
目についた。白く無垢な表紙は何人もの人の手に渡って読まれた
のであろうか 汚れが多い。それでも、市井の人の名はその場を
立ち去らせない何かを感じさせた。 手にとって読んでみると、18才で亡く
なった方の、子供のころから なにかと書き綴った遺稿を編集したものだった。
清楚で白磁のようなその少女の生命の言葉は、カバーの汚れを洗い流している。
急性骨髄白血病という病気は、若いいのちを 輝くいのちと才能を狙ったかの
ように奪った。
絶筆となった「病室の窓」という題名の、切ない詩を残して 彼女は逝った。

「山藤 久仁子 遺稿集 ひとすじのいのちを」〔安藤修平 編〕 北海道新聞社 
   (定価1300円 昭和57年11月20日 再版)
  

いま 8 5 才

2008年03月15日 | 古本
 3分の1程読み進めたところで、葉書きがパラっと落ちた。
本の最終ページには 1999、4,3、と日付だけが記入
されていたが、そのカードには気付いていなかった。
古本にはいろんな書き込みや、愛読者カードが残っている事は珍しく無い。
だが記入欄の事項を全て埋めてあり、投函するばかりのカードが残されていた
のは初めてだ。その方は札幌市中央区にお住まいの女性で、76才とある。
今から9年前のことで、計算上現在85才になっているはずだ。として、この
カードが投函されなかった理由はなんなのだろうか。また記入済みをそのままに
して、チェーン店の古本屋さんの棚に置かれていた事情はなんだろう。
 葉書きには[平成11年4月2日 道新で購入]とある。そうすると1999、
4、3、の記入はこのカード本人に間違いはないだろう。ただ少し不思議なのは
カードは和暦で、本には西暦で購入日をかいてある。これはどうしたことか。
カードの差出有効期間は和暦で、平成12年5月31日迄と印刷されてあり、
それに習った気遣いというものだろうか。(筆跡は似ています)
購入日を記入するのは本を買い慣れ、しかも相当量の読書をする方に違いない。
投函するばかりの、切手不要期間内のこの愛読者カード、そして本自体が古本
チェーン店に流通しているその事情、なんだかいろいろ考えてしまう。
ご本人がお元気でいることを 祈るばかりだ。
 この愛読者カードをどうするべきか、方法は3つ考えられる。
① 差出有効期間過ぎなので、切手を貼って投函しておく。
② 元のまま本にはさみ、アタシが保管しておく。
③ 封書に入れて短い経緯を書き、本人宛にお返しする。
(③は少しばかり危険だろうか。もし、この蔵書をご家族の方が処分していた
としたら、気まずい思いをさせることになる。余計なお世話というべきか。)
どうあれ、76才の女性がこの本 小檜山 博 さんを読んでくれたことが嬉しい。
さてどうしたものか。

「夢の通い路」 著者 小檜山 博 北海道新聞社 定価1500円+税
   (1999年2月20日 1刷発行)
 ※ 愛読者カードは 個人情報がバレないように、撮りました。

ワ ァ ー

2008年03月14日 | その他
 アタシは映写係りで、ドキュメンタリィー作品 2本の上映会だった。
1本目はビデオですでに上映中だ。で、2本目はフイルムでそろそろ映写機に
セットなのだが、なんの準備もできていない。できていないどころか、その
フイルムはどれだろうか。16mmフイルム映写機は2台あるものの、1台のは
巻き取りリールの方向が90度横を向いている。小さなフイルムの巻きは、
どれが上映用か、調べがつかない。
映写窓から観客席をみると、12、3人の客しか いない。
入場料は500円。これでは作品の送料だけで消えてしまう。
ワァー、どうしよう! で目が覚めた。
なんだか妙にリアルな、ユメをみてしまった。
いまだにこんな 〔 トホホなユメ 〕 をみる。(笑)

十 字 架

2008年03月12日 | 古本
 人にはいろんな種類の死に際があるとして、
アタシは山の遭難死ほど理解も同情も、出来ないものはない。
昭和37年12月も末、11名の大学山岳部パーティが大雪山系
縦走を実行した。だが天候悪化にて結果的に10名が遭難死、生き残ったのは
リーダー1名だけだった。しかしアタシはどうにも割り切れない思いが残る。
リーダーが1名だけ生き残ったという事にではなく、そもそも何故そう経験も
装備も技術も体力もない山岳部が、冬山登山という危険行為をしたのかという事
に尽きる。勿論日常生活にだって、さまざまな予期せずの危険はある。しかし
冬山は別次元の別格だろう。百年に一度の、稀に見る偶然が幾重にも重なった
ような悪天候ならともかく、大雪山系なら一冬で何回でも有りそうな二つ玉
低気圧で、簡単に10人の山登りをする屈強な若者がバタバタと倒れ死に至った。
著者の筆力もあろうが、それ程の天候や山岳部員の極限状況も感じられない中、
滑落し 彷徨し 凍傷死していったのだ。計画を認めた大学山岳部の責任こそ重い。
 文中に、生き残ったリーダーの言として「十人分のいのちを背負って生きるぞ。
十人分の黒い十字架を背負っているのだ。」などの記述がある。
果たしてそうか。人は人の生を生きれるというのか。人の生を背負う事など出来る
のか。アタシはそんなことはありえないと、思う。
断言する。人に人の生や人生を背負うことなど、出来やしない。
一人 一人にそれぞれの別な人生があって、死んだらそこで無に帰すだけだ。

 それにしても、この10名もの遭難死大事故、アタシにはなんの記憶もない。
山の遭難死には子供の頃から冷淡だったのだろうか。
あの時代の前後にあった大きなニユース、樺 美智子さんの死や、アメリカの
ケネディ大統領の暗殺死は、鮮明に覚えているのにね。

「凍れる いのち」 著者 川嶋 康男 白艪舎 定価1600円+税
  (2006年12月29日 初版発行)