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帯とけの金玉集
紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。
公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。
金玉集 雑(五十一)阿倍仲麿
もろこしにて月を見て
天の原ふりさけみれば春日なる 三笠の山に出でし月かも
(天の原、ふり離れて見れば、日の本の春日にある三笠の山に出た、同じ月ではないか……あまの腹、ふり放ちて見れば、かすかである、三かさなる山ばに出た、つき人おとこだなあ)。
言の戯れと言の心
「あま…天…女…吾間…我が女」「さけ…離け…離れ…放け…放ち」「見…目で見ること…覯…媾…まぐあい」「春日…所の名…名は戯れる、故郷、微か、幽か、わずか」「みかさの山…三笠の山…山の名、名は戯れる、三かさねの山ば、見重ねの山ば」「月…月人壮士(万葉集の歌語)…つき人をとこ…おとこ…尽き」「かも…かな…疑問、詠嘆などの意を表す」。
歌の清げな姿は、月に寄せて望郷の念を表したところ。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、女を見かさねて山ばの京に送り届け尽くしたおとこに寄せて、意気消沈した男の心境を表したところ。
古今和歌集 覉旅歌 阿倍仲麿。
紀貫之はこの歌を『土佐日記』でも採りあげている。公任も『新撰髄脳』で「これはむかしのよき歌なり」という。
仲麿は唐の国に留学生として遣わされて数年の後、帰国しようとして、船が難破して南方の明州という所に漂着した。都の長安の人々は、この船の人たちは亡くなったとばかり思っていた。そんなわけで、たぶん長期間を明州に留まって、ようやく長安に帰るという餞別の宴で、月を見ながら詠んだ和歌という。
土佐日記(一月二十日)によると、彼の国の人にはわからないと思ったが、歌の「言の心」を漢字に書き出して、日本の言葉のわかる人に知らせたところ、彼の国の人々も、和歌の心を聞き得たのだろう、予想外に愛でたと伝わるとある。
仲麿は万葉時代の人で、月は「月人壮士…壮士…男…仲麿自身」と戯れている。さらに「つき…突き…尽き…おとこ」などと戯れるのは、ことばの常で、否定することも拒否することもできない。このような戯れの意味は、一般に知られなくなると同時に『古今伝授』などに、他の言葉の戯れの意味と共に埋もれ「秘伝」となった。
和歌を研究対象物件として分析し、論理的に実証できることのみ、研鑚を積み重ねれば和歌の意味が明らかになると思うのは間違っている。戯れの意味は見逃されるか見付けても排除される。
この歌の「清げな姿」と望郷の念は明らかになるが、それ以外の意味は見えなくなる。公任の言う歌の「心におかしきところ」は、「歌の様を知り言の心を心得る人」に限り、「浮言綺語のような歌言葉の戯れのうちに顕れる」のである。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。