帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの『金玉集』 恋(四十三) 伊 勢

2012-12-01 00:13:10 | 古典

    



             帯とけの金玉集



 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。


 公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。



 金玉集 恋(四十三) 伊 勢

  人しれずたえなましかばわびつつも なき名ぞとだに言はましものを

 (人に知られず仲絶えたのならば、辛いと思いつつも、事実では無い噂なのよと言うでしょうに……ひと知れず、君が耐えたのならば、辛いと思いつつも、泣きな、おとこでしょ、と言うでしょうに)。


 言の戯れと言の心

「人しれず…人々に知られず…女に知られず」「たえな…たえぬ…絶えた…耐えた…我慢した…頑張った」「まし…するだろう…もし何々だったら何々だろうに…不満や希望が込められてある」「わび…わぶ…心細くて嘆く…さみしく思う…つらいと思う」「つつ…つづく…継続を表す…ながら…他のものと並行していることを表す…筒…中空…空しさを表す」「なき名…事実で無い評判…事実無根の噂…泣きな…泣くな…おとこ泣きするな…おとこ涙流すな」「な…名…評判…噂…汝…するな…禁止の意を表す」「ものを…のになあ…感動・残念などの意を表す」。


 歌の清げな姿は、仲の絶え方に文句を付け、離別の不満を表した。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、もとよりはかないおとこが、和合のために耐えたのならば、叱咤激励しょうという。


 躬恒の歌(三十二)に並べると両歌の「心におかしきところ」のおかしみが増す。


 古今和歌集 恋歌五では、「寛平御時后宮歌合」菅野忠臣の歌の次に並べられてある。

つれなきを今は恋ひじと思へども 心よはくも落つる涙か

(あの人が薄情なので、今はもう恋しないと思うけれども、心弱くも、落ちる涙よ……つれて逝けなくて、今はもう乞い求めないと思っているのに、心弱くも落ちるお涙か)。


  「つれなき…無情…冷淡…薄情…連れて逝けない」「恋ひじ…恋しない…乞いしない…求めない」「ども…けれども…のに…でもやはり」「心よはく…心弱く…我慢できず…耐えられず」「おちる…落ちる…こぼれる…たれる」「涙…目の涙…おとこ涙」「か…疑いの意を表す…詠嘆の意を表す」。


 この歌の次に、上の伊勢の歌が並べてあると「心におかしきところ」のおかしさが増す。それは編者の意図したことと感じることができる。


 歌の「清げな姿」からは、艶のない歌の羅列としか見えないでしょう。



 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。