帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの『金玉集』 恋(四十四) 素性法師

2012-12-03 00:06:51 | 古典

    



             帯とけの金玉集



 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。


 公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。

 
 
 金玉集 恋(四十四)素性法師

 今こむといひしばかりに長月の ありあけの月を待ちいでつるかな

 (今に来るだろうと、男が言ったばかりに、長月の有明けの月がだね、待って居て出たのだなあ……い間に、飽き満ちるときが来るわと、女が言ったばかりに、長突きの、在り明けの尽きを待って、い間を、離れたことよ)。

 
言の戯れと言の心

 「いま…今…すぐに…井間…女」「こむ…来るつもり…来るでしょう…来そう」「長月…旧暦九月…秋深き頃…飽き深きころ…長つき」「月…月人壮士(万葉集の月の表現)…ささらえをとこ(古代の月の別名)…男…おとこ…突き…尽き」「ありあけの月…明け方の空にでる月…明け方も健在の月人壮士…朝まで尽きないおとこ」「を…(月が)なあ…感嘆・詠嘆を表す…(月が)よ…強調を表す…(尽き)を…対象を表す」「いでつる…(月が)出た…(おとこ涙が)出てしまった…(井間より)離れてしまった…(俗世を)離れてしまった…出家した」「つる…つ…完了した意を表す」「かな…感嘆、感動を表す」。


 歌の清げな姿は、男の訪問を待ちに待って夜明けの月を見た女の有様。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、女の言うままに、秋の夜長を精いっぱい頑張り尽きて、井間より離れ、出家した男の有様。

 

 上の歌は古今和歌集 恋歌四にある。次のような女歌に並べ置かれてある。

題しらず、よみ人しらず。

君や来むわれやゆかむのいざよひに 真木の板戸もささず寝にけり

(君は来るでしょうか、我から行こうかしら、とまどっているうちに、真木の板戸も閉めないで寝てしまったことよ……君は山ば来るのでしょうか、わたしは逝くのかしらの、おとろえはじめのとまどいのために、真木ならぬ井た門も、閉じずに寝たことよ)。


  「来む…訪問するだろう…(極みや果てが)来るだろう」「ゆかむ…行こう…逝くだろう」「いざよひ…十六夜の月…望月が過ぎてしまった月…充実した突きの過ぎてしまったおとこ…ためらうこと」「月…月人壮士…男…おとこ」「真木の板戸も…井た門は勿論」「と…戸…門…身の門…女」「ささず…閉じず」。


 
今の人々には、歌の「清げな姿」しか見えないのは、ただ、歌の様(歌の表現様式)を知らず、言の心(言葉の戯れの意味を含む古来より歌によって育まれてきたあらゆる意味)を心得ていないためである。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず

  
   『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。