帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの『金玉集』 雑(五十三) 藤原実頼

2012-12-13 00:03:39 | 古典

    



             帯とけの金玉集



 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。

公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。



 金玉集 雑(五十三) 小野の宮の大臣

 あつとしの少将亡くなりて後、あずまの方より少将にとて馬を奉りければ(子息の敦敏 の少将が亡くなって後に、東国の方より、少将にといって馬を奉ったので)

 まだ知らぬ人もありけり東路に 我も行きてぞ住むべかりける

 (我が子の亡くなったのを、未だ知らぬ人もいたのだ、東路に我も行って住むといいのだなあ……子の君の逝ったのを、まだ感知せぬひともいることよ、吾妻路に我も逝って、済むといいなあ)。


 言の戯れと言の心

 「まだ…未だ…間田」「間、田…女」「しらぬ…知らぬ…感知せぬ」「人…人々…女」「東路…東国…吾妻路…吾が妻女」「路…みち…女」「ゆき…行き…逝き」「すむ…住む…澄む(心が澄む)…済む(ものを済ませる)」「べかり…べく…べし…するといいのだ…適当の意を表す…そうしょう…意志を表す」「ける…けり…気付いて述べる意を表す…詠嘆の意を表す」。


 歌の清げな姿は、子に先立たれた親のどうしょうもない心境。歌は唯それだけではない。

歌の心におかしきところは、東の国の妻女は、先だつ汝身に寛大という、いってすまそう。

後撰和歌集 巻第二十 慶賀 哀傷、実頼左大臣。


 藤原実頼は公任の祖父、敦敏は公任の伯父にあたる人。

『大鏡』によると、実頼は「大臣の位にて二十七年、天下執行、摂政・関白にて二十年ばかりやおはしましけん」「和歌の道にも優れおはしまして、後撰にもあまた入り給へり」という。


 
 後撰和歌集 春下にある、貫之の歌に対する実頼の返歌を聞きましょう。


  弥生に閏月ある年、司召しの頃、申文に添えて左大臣の家につかはしける
  貫 之

 余りさへありてゆくべき年だにも 春にかならずあふよしもがな

 (春があり余ってゆく年だけでも、任官する心の春に必ず遇う方法があればなあ……春の情余って逝くべき歳であっても、春情の山ばで、必ず合う手立てがほしいなあ)。

 

 「弥生に閏月…常の年よりも春が一か月長い」「司召し…京の諸官を任命する儀式…土佐守の任を終えて帰京して後の司召しで、貫之は六十五歳を過ぎていたと思われる」「申文…任官などを願い出る文書」。「春…季節の春…心の春…情の春…春情」「だにも…だけでも…さえも」「あふ…逢う…遇う…合う…春情の山ばが合う…和合する」「よしもがな…方法があればなあ…手立てがほしいなあ」「もがな…願望の意を表す」。


  返し                              実頼 左大臣

つねよりものどけかるべき春なれば ひかりに人のあはざらめやは

 (常よりも長閑に違いない春なので、陽の光に、人が心の春に遇わないはずがないでしょう……並みのものより、長くゆっくりとしているに違いない春の情なので、君の火かりに、ひとが和合しないはずがあろうか)。


 「つね…常…普通…並みのもの」「のどけかる…長閑である…余裕がある…(若者と違って)ゆっくりとしている」「べき…であろう…にちがいない」「春…季節の春…春情」「ひかり…陽光…威光…火かり…熱く燃えるかり」「かり…狩り…猟…あさり…まぐあい」「人…君…女」「あはざらめやは…遇わないはずがあろうか必ず遇う…合わないことがあろうか合う」「やは…反語の意を表す」。


 
 歌の「心におかしきところ」は、「玄之又玄」なるところにある。それが聞こえてこそ、歌を聞き得たといえる。残念ながら、今の人々は歌の「清げな姿」しか見せられていない。



 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。