帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの『金玉集』 恋(四十五) 中納言朝忠

2012-12-04 00:02:19 | 古典

    



             帯とけの金玉集



 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。


 公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。

 
 
 金玉集 恋(四十五)中納言朝忠

 あふことの絶えてしなくばなかなかに 人をも身をも恨みざらまし

 (男女の逢う事が全く無いならば、中途半端に相手も我が身も恨んだりしないだろうに……合うことが絶えてないならば、なまじっか、ひとがをも、我が身をも、嘆きはしないだろうに)。


 言の戯れと言の心

 「あふこと…逢う事…男女が逢う事…合うこと…和合すること」「たえて…決して…全く…絶えて…絶滅して」「し…強調の意を表す」「なかなかに…中途半端に…なまじっか」「人を…他人を…相手を…ひとお…女がおとこを」「身を…我が身を…我が身のおを…我が見を…我が見のはかなさを」「見…覯…媾…まぐあい」「恨む…憎く思う…不平を言う…嘆く」「ざらまし…ないだろうに…なかっただろうに」「ざら…ず…打消しの意を表す」「まし…仮に想像する意を表す。そこに不満や恨み事などが込められる」。


 歌の清げな姿は、逢う事がこの世から絶滅すれば恨まないだろうにと逢えない恋を嘆いた。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、合うことがこの夜から絶えてしまえば、女がおとこを、男が身のおとこを、はかなさゆえに嘆かないだろうにと嘆いた。

 拾遺和歌集 恋一にある。「天暦御時歌合に」詠んだ歌。


 藤原定家はこの歌を「百人一首」に撰んでいる。

 定家の父、俊成の歌論書『古来風躰抄』に「歌はただ読み上げもし、詠じもしたるに、何となく艶にもあはれにも聞こえることのあるなるべし」と述べられてある。この歌は俊成の歌論に適っている。


 歌の「艶」なるところと「あはれ」なるところは、浮言綺語のような歌言葉の戯れを知ってはじめて聞こえるのである。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

  聞書 かき人しらず


  『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。