帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの『金玉集』 雑(六十四) 春宮女蔵人左近

2012-12-26 00:26:04 | 古典

    



                           帯とけの金玉集



 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。

公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。



 金玉集 雑(六十四)小大君

 按擦大納言まうできてあすまで出でざりければ

 (按擦使の大納言やって来て朝になっても出ていかなかったので)

 岩橋の夜の契りも絶えぬべし 明くるわびしき葛城の神

 (岩橋のように、夜の契りも途中で絶えてしまうでしょう、夜が明ける、やりきれない葛城のかみ……いは端の夜の契りも絶えてしまうでしょう、厭きる、みすぼらしきかつら着のかみ)。


 言の戯れと言の心

 「岩橋…役の行者が葛城の神に造らせようとした橋(葛城の神は容貌醜いということで夜が明けると社に逃げ帰って約束の橋は完成しなかったという)…岩端…女の身の端」「岩、石…女」「夜の契り…夜の約束…夜の交わり」「あくる…明くる…飽くる…厭くる…いやになる」「わびしき…つらい…やりきれない…みすぼらしい」「かつらぎのかみ…葛城の神…容貌醜く明るいところが苦手なかみ…かつら着のかみ…髪が短くかつらを着けている女」「かみ…神…髪…上…女」。


 歌の清げな姿は、葛城の神の伝説を踏まえて、明けて容貌を見られたくないと言った。歌は唯それだけではない、それだけでは歌ではない。

歌の心におかしきところは、夜の契りも途中で絶えるでしょう、厭になる、このわびしい容姿、早く帰れと言った。


 拾遺和歌集 雑賀。詞書は「大納言朝光下に侍ける時、女の許に忍びてまかりて、暁に帰らじと言いければ」とある。作は、春宮女蔵人左近(小大君)。



 清少納言も「かつらぎのかみ」と呼ばれた。枕草子(一七七)の「宮に初めて参りたるころ」には、清少納言の明るいところが苦手な様子が描かれてある。それは「かつら着のかみ」だったからで、ちぢれ髪のため短くして「つけ髪」をつけていたためである。「葛城の神→明るいところが苦手なかみ→かつら着のかみ」などと戯れるとは、「かみ…神…髪…上…女」の戯れさえ知らない人は気付かないでしょう。


 枕草子(一七三)「ある所に何の君とかや」には、暁に帰る男を、名残惜しそうに在り明けの月人壮士を見つめる女の髪が、五寸ばかり下がり、火をさしとぼしたようであったので、驚いて男はそっと退散した話が他人事のように記されてある。



 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。