帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの『金玉集』 雑(六十七) 藤原元輔

2012-12-29 00:07:45 | 古典

    



             帯とけの金玉集



 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。

公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。



 金玉集 雑(六十七) 藤原もと輔

   蔵人所のこれかれ歌侍りけるに
  
(蔵人所のそれぞれみな歌を詠んだときに)、

 年ごとの春の別れをあはれとも 人におくるゝひとぞ知りける

 (年毎の春の昇進での別れを、感動とも悲哀だとも、人に送られたり遅れている人ぞ、知るのだなあ……疾しごとの張るの別れを、あゝとも哀れとも、男に遅れるひとぞ、知るのだなあ)。


 言の戯れと言の心

 「年ごと…年毎…疾し毎…早過ぎごと」「春の別れ…冠(五位)を得て地方官に転身して行く人や退官していく人との別れ…春情との別れ…張るものとの別れ」「あはれ…心より感動する…悲哀を感じる」「人に…昇進しなかった人に…男に…疾しおとこに」「おくるる…送られる…遅れる」「る…受け身の意を表す…自発の意を表す」「ひと…送られる人…遅れている人…遅れる女…後たちの女」。


 歌の清げな姿は、蔵人所の餞別の宴で送る人の悲哀。歌は唯それだけではない、それだけでは歌ではない。

歌の心におかしきところは、疾しおとこにおくれをとる女の悲哀が添えられてあるところ。


 藤原時平を祖父とする藤原元輔は、天慶六(943)より蔵人。少将、中将を兼ねながら安和元年(968)蔵人頭。

 

 
 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。