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帯とけの金玉集
紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。
公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。
金玉集 雑(六十七) 藤原もと輔
蔵人所のこれかれ歌侍りけるに
(蔵人所のそれぞれみな歌を詠んだときに)、
年ごとの春の別れをあはれとも 人におくるゝひとぞ知りける
(年毎の春の昇進での別れを、感動とも悲哀だとも、人に送られたり遅れている人ぞ、知るのだなあ……疾しごとの張るの別れを、あゝとも哀れとも、男に遅れるひとぞ、知るのだなあ)。
言の戯れと言の心
「年ごと…年毎…疾し毎…早過ぎごと」「春の別れ…冠(五位)を得て地方官に転身して行く人や退官していく人との別れ…春情との別れ…張るものとの別れ」「あはれ…心より感動する…悲哀を感じる」「人に…昇進しなかった人に…男に…疾しおとこに」「おくるる…送られる…遅れる」「る…受け身の意を表す…自発の意を表す」「ひと…送られる人…遅れている人…遅れる女…後たちの女」。
歌の清げな姿は、蔵人所の餞別の宴で送る人の悲哀。歌は唯それだけではない、それだけでは歌ではない。
歌の心におかしきところは、疾しおとこにおくれをとる女の悲哀が添えられてあるところ。
藤原時平を祖父とする藤原元輔は、天慶六(943)より蔵人。少将、中将を兼ねながら安和元年(968)蔵人頭。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。