帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの『金玉集』 雑(四十九) よみ人しらず

2012-12-08 00:07:13 | 古典

    



             帯とけの金玉集



  紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。


  公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。


 
 金玉集 雑(四十九)よみ人しらず

 藻刈り舟いまぞ渚に来よすなる みぎはのたづの声さわぐなり

 (藻刈り舟、今、渚に寄せて来ているようだ、水際の鶴の声、騒いでいる……もかり夫根、井間ぞなぎさに寄せて来るようだ、みぎわの立つの小枝ひとの声、さわいでいる)。


 言の戯れと言の心

 「もがり…藻刈り…女かり」「藻…水草…女」「刈り…狩り…めとり…あさり…まぐあい」「ふね…舟…夫根…おとこ」「いま…今…井間…女」「なぎさ…渚…女」「みぎは…汀…水際…女の際」「水…女」「なぎさ…鳴きさ…泣きさ」「たづ…鶴…鳥…女…たつ…立つ」「こゑ…声…小枝…おとこ」「さわぐ…うるさく声や音を立てる…乱れ動く」「なる…なり…推定する意を表す…断定の意を表す」。


 歌の清げな姿は、藻刈り船と鶴の風景。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、いま、ふねの寄せくる時の女の風情。


 拾遺和歌集 雑上にある。題しらず、よみ人しらず。


 赤人の歌と似た心を詠んだ歌で「艶」ではあるけれども、異なるのは言葉が「妙」ではないこと。「なぎさ」と「みぎは」は歌の欠点(やまい)であるという。言の心が同じ「水の際…女の身近」。それでなくとも、読みあげれば、何となく「なぎさ」と「みぎは」は、やはり「ぎ」一文字が気にかかる。


 公任は『新撰髄脳』に「詞異なれども、心同じきをば、なを去るべし。一文字なれども同じきは、なを去るべし」と記している。


 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


 『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。