帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの『金玉集』 雑(六十一) 高光少将

2012-12-22 00:03:20 | 古典

    



             帯とけの金玉集



 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。

公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。

 

 金玉集 雑(六十一)高光少将

 かくばかりへがたく見ゆる世の中に うらやましくもすめる月かな

 (これほど過ごし難く思える世の中に、羨ましくも住み澄んでいるように見える月だなあ……欠けるばかり、重ね難く見ゆる夜の中に、羨ましくも済み澄ましているような、つき人おとこだなあ)。


 言の戯れと言の心

 「かく…斯く…このように…欠く…不足する」「ばかり…程…程度を表す…だけ…限定の意を表す」「へがたく…経難く…過ごしづらい…ふたへと重ね難く…一過性おとこのさが重ね難く」「見ゆる…見える…思える…まぐあっている」「世の中…男女の仲…夜の仲」「すめる…すめり…住むようにみえる…澄むようにおもえる…済むようだ」「月…月人壮士(万葉集の月の歌語)…壮士…男…おとこ」「かな…感嘆の意を表す」。


 歌の清げな姿は、人の世は無常、うらやましい澄んだ月よ。歌は唯それだけではない。

歌の心におかしきところは、おとこのさがは無常、うらやましい、澄んだつきひとをとこよ。


 高光は藤原師輔の八男、兼家の弟、若くして比叡山で出家し多武峰に住んだ。「多武峰少将物語」や「高光集」がある。無情観の表れたこの歌は、「高光集」の詞書に「村上の帝かくれさせ給ひての頃、月を見て」詠んだ歌とある。


 この歌が、高光の歌の中でも絶唱とされるのは、心深く、姿清げで、「心におかしところ」があるからである。言の戯れを生かされた言葉使いも絶妙である。


 人麿、赤人の歌に及ばないのは、余情が妖艶とはいえないところ。すでに紐解き、帯びとけた人麿の「しまかくれゆくふねをしぞ思ふ」や赤人の「あしべをさしてたづなきわたる」の「心におかしきところ」と比較すればわかる。


 
 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず

 
  『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。