帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの『金玉集』 雑(四十八) 山部赤人

2012-12-07 00:10:14 | 古典

    



             帯とけの金玉集



 紀貫之は古今集仮名序の結びで、「歌の様」を知り「言の心」を心得える人は、いにしえの歌を仰ぎ見て恋しくなるだろうと歌の聞き方を述べた。藤原公任は歌論書『新撰髄脳』で、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」と、優れた歌の定義を述べた。此処に、歌の様(歌の表現様式)が表れている。


 公任の金玉集(こがねのたまの集)には「優れた歌」が撰ばれてあるに違いないので、歌言葉の「言の心」を紐解けば、歌の心深いところ、清げな姿、それに「心におかしきところ」が明らかになるでしょう。



 金玉集 雑(四十八)赤 人

 和歌の浦に潮みちくれば潟をなみ 葦辺をさしてたづ鳴き渡る

 (和歌の浦に、潮満ち来れば、干潟なくなるので、葦辺をさして鶴が鳴き渡っている……わかの心によって、士お満ちくれば、片男なみ、脚べをさして、たづ泣きつづく)。


  言の戯れと言の心

 「わかのうら…和歌の浦…所の名…名は戯れる、若の心、若者の心」「うら…浦…心」「に…場所を示す…によって…原因・理由などを表す」「しほ…潮…肢お…士お…おとこ」「ほ…お」「かたをなみ…潟を無み…干潟が無くなるため…片男波…ひたすらな男の身…一方的な男の身」「かた…片…接頭語…不十分な…一方的な」「なみ…波…汝身…おとこ」「あしべ…葦辺…脚辺…肢の辺り」「さして…目指して…差して…挿して」「たづ…鶴の歌語…鳥…女」「なき…鳴き…泣き」「わたる…渡る…飛び渡る…広がる…続く」。


 歌の清げな姿は、和歌の浦の干潟と鶴の風景。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、若者のひたすらにつきすすむさがと女のありさま。
 

 万葉集巻第六、雑歌にある。
同じ時に詠んだ一首も聞きましょう。

 奥嶋荒磯の玉藻潮干満ち い隠りゆけば思ほえむかも

 (奥つ島、荒れ磯の玉藻、潮干満ち隠れゆけば、もの思うことよ……奥つし間、荒れるいその玉のひと、士ほ火満ち、井隠れゆけば、思いを思うだろうなあ)。


 「奥嶋…沖津島…奥の肢間…女」「荒磯…荒れいそ…荒れた女」「磯…岩…石…女」「玉…美称…宝玉…素晴らしいもの」「藻…水草…女」「潮干満ち…士お火満ち」「い隠りゆけば…隠れ行けば…井に隠れゆけば」「い…接頭語…井…女」「思ほえむかも…思えることよ…思うのだろうなあ」。


 紀貫之は古今集仮名序で「柿本人麿なむ、歌のひじりなりける」。「山のべの赤人と言う人ありけり、歌に妖しく妙なりけり」と述べ、「人麿は赤人の上に立たむこと難く、赤人は人麿が下に立たむこと難くなむありける」と、赤人を歌のひじり人麿と同等に評価している。

 赤人の歌は「妖艶で絶妙である」と言えることが、「歌の様」を知り「言の心」を心得て聞けばわかる。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  『金玉集』の原文は、『群書類従』巻第百五十九金玉集による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。