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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集 巻第四 恋雑 百六十首 (二百二十一と二百二十二)
住の江の波にあらねど夜とゝもに 心をきみに寄せわたるかな
(二百二十一)
(住の江の波ではないけれど、夜と共に、心をあなたに寄せて、行くことよ……澄みのえの汝身ではないけれど、夜と共に、心、を、あなたに寄せ続けるなあ)。
言の戯れと言の心
「すみのえ…住の江…江の名…名は戯れる、澄みの江、心の澄んだ女、清らかな女」「江…女」「なみ…波…汝身…あなたの身…我がこの身」「な…汝…親しいものの称」「心を…心、お…心とおとこを」「きみ…君…あなた…男女に用いる親愛の呼び名」「わたる…のもとへ行く…し続ける」「かな…だなあ…感嘆、感動の意を表す」。
後撰和歌集 恋歌二。
歌の清げな姿は、心澄んだ女でも男でもないけれど、夜は共に心を寄せる、普通の夫婦のありさま。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、お互い清らかな身ではないけれど、夜になれば心も、おも、寄せ合い続けている。
わたの原よせくる波の立ちかヘリ 見まくのほしき玉津島かな
(二百二十二)
(海原、寄せくる波が繰り返し 見物していたい玉津島だなあ……わたの腹、寄せくる汝身が立ち返り、見たいと欲する玉つし間かな)。
言の戯れと言の心
「わた…海…綿…柔らかい…和多…和合多い」「原…海原…腹…をうな腹」「なみ…海波…心波…汝身…あなたの身…わがおとこ」「な…汝…親しみある者の称」「見…見物…覯…媾…まぐあい」「玉津島…島の名…名は戯れる。玉の女、玉津肢間、玉の女の肢間」「玉…美称」「津…女」「しま…島…肢間…洲…す…女」「かな…感嘆、感動を表す」。
さて、「玉津島」の言の心が美女などということを、論理で実証することはできない。むかしから、美女という意味を孕みながら用いられてきたからだと言うしかない。使用のされ方、それが言葉の意味である。玉津島神社の祭神は、稚日女命(わかひるめのみこと)、神功皇后、衣通姫(そとおりひめ)の三柱。いずれも美しい女性であられたのでしょう。故に玉津島明神と称されたのかも。玉津島と称されていた土地なので美女が祀られたのかも。いずれにしても、昔むかしから、玉津島の言の心は、美女、玉のしま。
古今和歌集 雑歌上。題しらず、よみ人しらず。第三句「しばしばも」。
歌の清げな姿は、白波うちよせる和歌浦の玉津島の「見れど飽かぬ」景色。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、「見れど飽かぬ」玉つしまの気色。
古今和歌集は一般向けの歌集。新撰和歌集はおとなの男たちの為の歌集。「しばしばも」を「立ち返り」に、変えたのはその為でしょう。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。