帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑(二百十九と二百二十)

2012-07-24 00:01:12 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第四 恋雑 百六十首
(二百十九と二百二十)


 川の瀬になびく玉藻のみがくれて人に知られぬ恋もするかな
                                   
(二百十九)

 (川の浅瀬で靡く玉藻のように、水に隠れて、人に知られない恋を、することよ……ひとが背の君に、しなだれる玉ものよう、見かくれて、他人に知られない、乞いも媚びもすることよ)。


 言の戯れと言の心

 「川…女」「せ…瀬…浅せ…背…男…夫」「に…で…場所を示す」「なびく…靡く…よりかかる…しなだれる」「玉藻…玉の水草…美しい女…美しい髪」「玉…美称」「も…藻…水草…女…毛…毛髪」「の…のように…比喩を表す」「みがくれて…水隠れて…身隠れて…見かくれて…見なくなって」「見…覯…媾…まぐあい」「こひ…恋…乞ひ…求め…こび…媚び…艶めかしい態度」「かな…感動・詠嘆を表す」。


 古今和歌集 恋歌二。寛平御時きさいの宮の歌合いの歌。


 歌の清げな姿は、心ゆらめき靡く、忍ぶ恋
のありさま。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、見しなくなった背の君に、媚び乞い求めるひとのありさま。


 

 いくばくもあらじ我身をなぞもかく海人の刈る藻に思ひみだるゝ
                            
(二百二十)

(どれほどもないだろう我身の命よ、どうしてこう、海人の刈る藻のように、思い乱れるか……どれほども在れないだろう我身を、どうしてこうも吾女が駆るのか、藻のように、思い身垂るる)。


 言の戯れと言の心

 「あらじ…健在であり得ないだろう…存続しないだろう」「我が身…我が身の命…我が身のものの命…おとこの命」「を…感嘆、強調を表す…動作の対象を表す…おとこ」「あま…海士…海女…吾ま…吾間…吾が女」「かる…刈る…猟る…あさる…駆る…追い立てる…強いる」「に…のように…比喩を表す」「みだるる…乱れる…みたるる…身を垂れる」。


 古今和歌集 雑歌下。題しらず、よみ人しらず。初句「いく世しも」。


 歌の清げな姿は、先は長くないだろう我が身が、なぜ色々な欲に思い乱れるのかという男の思い。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、一過性のおとこのさがに、かりたてる吾女、思いみだれ、お垂れるところ。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。