帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑(二百十五と二百十六)

2012-07-21 00:07:34 | 古典

  



        帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第四 恋雑 百六十首
(二百十五と二百十六)


 夕されば雲のはたてにものぞ思ふ 天津空なる人を恋ふとて 
                                                  (二百十五)
 (夕方になれば、雲の果てしないように、ものを思うよ、天女のような人を恋うといって……ものの果て方になれば、心雲の限りに、ものぞ思う、あまの空成るひと、おを乞うとて)。

 言の戯れと言の心

 「ゆうされば…夕方になれば…ものの暮れ方になれば」「雲…空の雲…心の雲…心に煩わしくもわき立つもの…情欲など…広くは煩悩」「はたて…果たて…果て…限り」「もの…男と女の言い難い諸々のこと…物体…身の端」「天津空なる人…天女のような人…身分などのはるかに高い人…あまの空成りのひと」「あま…天…女」「津…女」「空なる…むなしい成り…実のない達成」「人…女」「を…対象を示す…男…おとこ」「恋う…乞う」。


 古今和歌集 恋歌一、題しらず、よみ人しらず。初句「夕暮れは」。


 歌の清げな姿は、夕暮れのもやもやした妄想か、天女のような人を恋うという男。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、ものの果て方、心雲のなせる業か、おを乞う空成りの女。

 


 天津風雲のかよひぢ吹きとぢよ をとめの姿しばしとゞめむ  
                                   
(二百十六)

(天津風、雲間の通い路吹き閉じよ、舞い降りた天女のような、乙女たちの姿、いましばらくここに留めておきたい……天津風、心雲の通い路吹き閉じよ、無垢なをとめの姿、いましばらく留めておきたい)。 


 言の戯れと言の心

 「雲…天の雲…心に煩わしくもわき立つもの…情欲など、ひいては煩悩」「をとめ…乙女…五節の舞姫…若い未婚の女性」。


 古今和歌集 雑歌上に、「五節の舞姫を見てよめる」とある。

五節の舞は、四、五人の少女による競演、お披露目でもある。この時より、少女たちは世の諸々の垢にまみれることになる。おを乞う大人の女にもなる。


 歌の清げな姿は、舞姫たちを天女に見立て舞いぶりを褒め讃えた。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、心に雲のない乙女であり続けることはできないが、いましばらくはという男どもの思いの表れたところ。



伝授 清原のおうな


鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

聞書 かき人しらず


新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。