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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集 巻第四 恋雑 百六十首 (二百十五と二百十六)
夕されば雲のはたてにものぞ思ふ 天津空なる人を恋ふとて
(二百十五)
(夕方になれば、雲の果てしないように、ものを思うよ、天女のような人を恋うといって……ものの果て方になれば、心雲の限りに、ものぞ思う、あまの空成るひと、おを乞うとて)。
言の戯れと言の心
「ゆうされば…夕方になれば…ものの暮れ方になれば」「雲…空の雲…心の雲…心に煩わしくもわき立つもの…情欲など…広くは煩悩」「はたて…果たて…果て…限り」「もの…男と女の言い難い諸々のこと…物体…身の端」「天津空なる人…天女のような人…身分などのはるかに高い人…あまの空成りのひと」「あま…天…女」「津…女」「空なる…むなしい成り…実のない達成」「人…女」「を…対象を示す…男…おとこ」「恋う…乞う」。
古今和歌集 恋歌一、題しらず、よみ人しらず。初句「夕暮れは」。
歌の清げな姿は、夕暮れのもやもやした妄想か、天女のような人を恋うという男。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、ものの果て方、心雲のなせる業か、おを乞う空成りの女。
天津風雲のかよひぢ吹きとぢよ をとめの姿しばしとゞめむ
(二百十六)
(天津風、雲間の通い路吹き閉じよ、舞い降りた天女のような、乙女たちの姿、いましばらくここに留めておきたい……天津風、心雲の通い路吹き閉じよ、無垢なをとめの姿、いましばらく留めておきたい)。
言の戯れと言の心
「雲…天の雲…心に煩わしくもわき立つもの…情欲など、ひいては煩悩」「をとめ…乙女…五節の舞姫…若い未婚の女性」。
古今和歌集 雑歌上に、「五節の舞姫を見てよめる」とある。
五節の舞は、四、五人の少女による競演、お披露目でもある。この時より、少女たちは世の諸々の垢にまみれることになる。おを乞う大人の女にもなる。
歌の清げな姿は、舞姫たちを天女に見立て舞いぶりを褒め讃えた。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、心に雲のない乙女であり続けることはできないが、いましばらくはという男どもの思いの表れたところ。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。