帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑(二百二十五と二百二十六)

2012-07-27 00:07:03 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第四 恋雑 百六十首
(二百二十五と二百二十六)


 心かへするものにもか片恋はくるしきものと人に知らせむ
                                  
(二百二十五)

(心換えするものならばなあ、交換して、片恋は苦しいものと、あの人に知らせたい……

……心変えするものか急によ、片乞いは苦しいものと、この人に知らせたい)。


 言の戯れと言の心

 「心かへ…心換え…心の交換…心変え…心変わり」「にもが…であればなあ…願望する意を表す…にもか…でもあるのか…疑いの意を表す…詠嘆の意を表す」「片恋…片方だけの恋い…片乞い…片方だけの乞い求め」「人…男」「む…意志を表す」。


 古今和歌集 恋歌一。題しらず、よみ人しらず。女歌として聞く。


 歌の清げな姿は、片恋いの苦しさ。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、おとこのさがによる、心変わりに遭った女の嘆きぶり。


 

 みな人は心々にあるものをおしひたすらに濡るゝ袖かな
                                  
(二百二十六)

(皆、人は心さまざまであるのに、ただ一途に、涙で濡れるわが袖だなあ……見な人は、心さまざまである、ものを、押し、ひたすらに、濡れる我が身のそでだなあ)。


 言の戯れと言の心

 「みな人…皆人…全ての人…見な人…見の人」「見…覯…媾…まぐあい」「心ごころ…心様々…思い思い…思いは様々」「ものを…なのに…物お…おとこ」「おしひたすら…押しひたすら…ただ一途に」「おし…強調の接頭語…押し…おしつけ…おしひらき…おしこみ…お肢…おとこ」「そで…衣の袖…身のそで…身の端…おとこ」「ぬるる…濡れる…(悲しみの涙で)濡れる…(ものの喜びの涙で)濡れる」「かな…だなあ…であることよ…感動、感嘆の意を表す」。


 古今和歌集の歌ではない。古今集には載せられなかった歌かも。


 歌の清げな姿は、何か不幸を背負った男の嘆き。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、見の男の、身のありさま。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。