帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑(二百五と二百六)

2012-07-16 00:01:01 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第四 恋雑 百六十首
(二百五と二百六)


 おとにのみ菊の白露よるはおきて ひるは思ひにけぬべきものを 
                                    
(二百五)

 (うわさにのみ聞く、見てはいない菊の白露、夜はおりて、昼はあの人を思う我が思火に消えてしまうだろうなあ……小門にのみ効く、おとこ白つゆ、夜は贈り置いて、昼は思慮によって消えてしまうべきなのに、消えないなあ)。


 言の戯れと言の心

 「おと…音…声…噂…評判…小門」「小…美称」「と…門…女」「きく…菊…草花…女花…綺麗な女…聞く…効く…効能あり」「白露…白つゆ…おとこ白つゆ」「おきて…(露などが)おりて…贈り置いて」「思ひ…思火…情念の炎…思慮分別」「けぬべきものを…消えてしまうだろうなあ・強いわが思い火に…消えてしまうべきなのになあ・脳裏から消えない」「べき…べし…推量の意を表す…当然の意を表す」「ものを…ものなのに…詠嘆などの意を含む」。


 古今和歌集恋歌一 法師の歌。


 歌の清げな姿は、片恋の思い火の強さ。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、断ち難きおとこの情欲。


 ついでながら、古今集の歌では第五句「あへずけぬべし」とある。(昼は、かような情欲、思慮分別に)堪えられず消えてしまうべしとあったのを、「けぬべきものを」と変えたのは、この歌集を編んだ貫之の仕業でしょう。



 わが上に露ぞおくなる天の川 とわたる舟のかひのしづくか 
                                    
(二百六)

(我が頭上に、露がおりたようだぞ、天の川、みな門を渡る彦星舟の櫂の雫か……わが上に、白つゆ贈り置く成る、吾女の川、門わたるふ根の、快の雫か)。


 言の戯れと言の心

 「上…頭上…うへ…貴婦人…かみ…女」「つゆ…露…水滴…白つゆ…おとこ白露つゆ」「おく…置く…(露が)おりる…おくり置く」「なる…なり…推量の意を表す…成り…或る状態に達した」「天の川…七夕伝説の彦星と織姫を隔てる川…吾女の川」「川…女」「と…門…川を渡る水路…川門…女」「ふね…舟…夫根…おとこ」「かひ…櫂…貝…女…快…こころよい」「か…疑いの意を表す…感動の意を表す」。


 古今和歌集雑歌上 題しらず、よみ人しらずの歌。


 歌の清げな姿は、両星が一年に一度逢う七夕の夜の感慨。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、思い人と共寝した夜の夫根と貝の快感。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず

 
  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。