帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑(二百九と二百十)

2012-07-18 00:05:13 | 古典

    



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第四 恋雑 百六十首
(二百九と二百十)


 あしひきの山下水にうづもれて たぎつ心をせきぞかねぬる 
                                    
(二百九)

(あしきの山の地下水のように埋もれて、忍ぶ恋、たぎる我が心を、塞き止められなくなってしまった……あの山ばの下のをみなに、身も心もうずもれて、たぎるをみなを、せきとめかねてぞ、寝る)。


 言の戯れと言の心

 「あしひきの…山などにかかる枕詞…あの…あれの」「山…山ば…感情などの盛り上がり」「水…女」「に…のように…比喩を表す…により…原因・理由を表す」「うづもれて…埋没して…浸って…沈んで」「たぎつ…滾る…激しく乱れる」「かね…かぬ…しつづけることが難しい…できない」「ぬる…ぬ…そうなってしまった…完了した意を表す…濡れる…寝る」。


 古今和歌集 恋歌一、題しらず、よみ人しらず。


 歌の清げな姿は、忍ぶ恋に滾る男の心。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、はかないおとこのさがを述べ、寝るところ。

 


 ぬきみだす人こそあらし白玉の まなくも散るか袖のせばきに 
                                    
(二百十)

(首飾りか、貫き乱す人が居るらしいぞ、白玉がつぎつぎと散っている、受けとめる袖が狭いために……抜き乱す人、こぞ、荒らし、白玉が絶え間なく散っている、身の端が狭いので)。


 言の戯れと言の心

 「ぬきみだす…貫き乱す…貫き止めた紐が切れ乱れる…抜き淫す…抜き身出す」「人…女…男」「こそ…強調の意を表す…子ぞ…おとこぞ」「あらし…あるらし…居るらしい…荒らし…荒々しい」「白玉…白珠…真珠…白つゆ」「か…疑問や感動の意を表す」「せばき…狭き…狭い…身のそでの褒め言葉」。


 古今和歌集 雑歌上、詞書に「布引の滝の下にて、人々集まりて、歌詠みける時に詠みける」、業平朝臣とある。作歌の情況は『伊勢物語』に詳しいが、この歌集では情況や作者が誰かということをできる限り離れて、一首の心におかしきところを吟味する。


 歌の清げな姿は、貫き乱れた真珠を袖で受けとめている女のありさま。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、みだらな、おとこ白玉を、滝のしぶきに見立てたところ。



 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。