帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑(二百三十一と二百三十二)

2012-07-31 00:07:49 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあると
いう。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第四 恋雑 百六十首
(二百三十一と二百三十二)


 なぬかゆく濱の真砂とわが恋と いづれまされり沖つ白波
                                 
(二百三十一)

(七日行く濱の真砂の数と、わたしの恋と、どちらが勝っているか、沖の白波、知らなみ……何ぬか逝く、端間のまさ子とわが乞いと、いづれが勝っているか、奥の白けた汝身、知らなみ)。


 言の戯れと言の心

 「なぬか…七日…七日間…何ぬか…何ぞ…どうしてよ」「ゆく…行く…逝く」「はま…濱…女…端間」「まさご…真砂…数多い…真こ…おとこ」「真…接頭語…美称」「沖つ…沖の…奥の…置きの」「しらなみ…白波…男波…白汝身…白けたおとこ…知らなみ…知らず見」「な…打消しを表す」。


 古今集の歌ではない。本歌は万葉集にある。女の歌として聞く。


 歌の清げな姿は、わが恋心の強さ苦しさの多さと、真砂の多さと、どちらが勝っているかと沖の白波に問うところ。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、わが乞い心の強さ苦しさと真のおとこのそれと、どちらが勝っているかと、端間に在る白汝身に詰問するところ。

 

 ついでながら、万葉集にある本歌を聞きましょう。

 
 万葉集巻第四。笠郎女が、大伴宿祢家持に贈った廿四首。内一首。


 八百日ゆく濱の沙も吾恋に あにまさらじか沖つ島守

 (八ほか行く濱のまなごも、わが恋に、決して勝らないでしょうか、沖の島守よ……数多く逝く、端間のまなごも、わが乞いに決して勝らないでしょうか、奥のわが肢間守りよ)。


 「濱…はま…端間…女」「沙…まなご…まさご…真砂…おとこ」「恋い…乞い」「沖つ…沖の…奥つ…奥の」「島守…肢間守…女自身」「しま…肢間…女」。

万葉集の歌も、歌の様(表現様式)と言の心は同じ。

 


 我見ても久しくなりぬ住吉の 岸の姫松いくよ経ぬらむ
                           (二百三十二)

 (我が見てからでも久しくなった、住吉の岸の姫松、幾世経たのだろう……我が娶ってからでも久しくなった、すみ良しの、すみ好しの、来しの秘めまつ、ひと、いく夜へただろうか)。


 言の戯れと言の心

 「見…覯…媾…めとり…まぐあい」「住吉…所の名…名は戯れる。住み良し、住み通うのに良し、澄み好し、心澄み好し、す身よし」「す…女」「きし…岸…来し…来た…夫君が来た…或る情態が来た」「ひめまつ…姫松…女…秘め待つ」「いくよ…幾世…幾夜…逝く夜」「へぬ…経ぬ…経った…圧ぬ…おさえつけた…おしつけた」。


 古今和歌集 雑歌上。題しらず、よみ人しらず。


 歌の清げな姿は、老いて思う良き妻との長い年月。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、住むに良し、す身好し、きしの秘め待つ、女と過ごした長い年月の述懐。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。