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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集 巻第三 別旅 二十首 (百八十五と百八十六)
人やりのみちならなくに大方は いき憂しといひていざ帰りなむ
(百八十五)
(人に遣わされた道中ではないので、普通は、もう見送って行き辛いと言って、さあと、帰ってしまうだろうに……ひとにやらされる道ではないので、おお方おとこどもは、逝き辛いといって、いざさらばと、帰ってしまうものだろう)。
言の戯れと言の心
「人やり…他人が遣らす…女が遣らす」「道…道中…色の道」「ならなくに…ないのに…ないので」「おほかた…大方…たいてい…普通…おお方…おとこども」「いきうし…行き憂し…(見送って)行き辛い…逝きづらい」「いざ…ものごとを始める時に発する言葉…さあ…では」「かへりなむ…帰ってしまうだろう…(普通は)きっと帰ってしまうだろう…帰らなむ…(もう充分だから)帰ってほしい」「な…ぬ…完了の意を表す」「む…推量の意を表す」「なむ…人への願望を表す」。
古今和歌集の歌の詞書には、「つくしへゆあみむとてまかりけるとき…筑紫へ湯浴みにでかける時…(命を)尽くしに湯浴みに出かける時」「山さきより神なびのもりまで(山崎より神奈備の森まで…山ばの前より、かみ靡が盛りとなるところまで)送りに人々まかりて、帰りがてにして、別れ惜しみけるに詠める」とある。
「山…山ば」「神…かみ…上…女」「なび…靡く…萎え伏す」「もり…森…杜…盛り」。古今集の詞書も一筋縄ではない。前後の歌の様子からすると、作者は命尽くすために湯浴みにでかけたもよう。
歌の清げな姿は、今生の別れと察知して別れ難くする人々を思いやり、見送りへの謝辞。
歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、人のさがを、おとこのさがをも超えて、よくぞここまで見とどけてくれたというところ。
わたの原八十島かけてこぎ出ぬと 人には告げよあまの釣船
(百八十六)
(海原の八十島をめざし漕ぎ出たと、都の人々には告げよ、海人の釣船……あまの腹の、八十しま心にかけて、こぎだしたと、ひとには告げよ、あまの吊りふ根)。
言の戯れと言の心
「わた…わたつみ…海…女」「はら…原…腹」「やそしま…八十島…多数の島…多数のし間…多数の女」「しま…島…洲…し間…女」「かけて…めざして…心に思って…心にかけて」「人…人々…女」「あまの…海人の…漁師の…女の」「つりふね…釣舟…吊り夫根…つりでた小さなおとこもどきのもの」「ふね…船…夫根…おとこ」。
古今和歌集の詞書に、「隠岐の国に流されける時に、船に乗りて出でたつとて、京なる人のもとにつかはしける」とある。
歌の清げな姿は、島流しの罪をうけて出立するとき、居ない見送りの人への挨拶。歌は唯それだけではない。
歌の心におかしきところは、罪を負わせた人々へ、はらわたを投げつけるような生々しい言葉。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。