帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第三 別旅(百九十三と百九十四)

2012-07-09 00:04:30 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集

 
 
 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第三 別旅 二十首
(百九十三と百九十四)


 あかずして別るゝなみだ滝にそふ 水まさるとやしもや見ゆらむ 
                                   
(百九十三)

 (飽き足りないまま別れる涙、滝に添える、水嵩増さるとか、下流では見えるだろう……飽き満ち足りず別れるお涙、多気なひとに添える、をみなますますつのるか、下や、みるだろう)。


 言の戯れと言の心

 「あかず…飽かず…飽き満ち足りず…感の極みに至らず」「なみだ…涙…詠み人の涙…おとこの涙」「たき…滝…女…多気…多情」「そふ…添う…添加する」「水…女」「まさる…増さる…増加する…つのる」「しも…下…下流…しもじも…下の身」「や…疑問や詠嘆などの意を表す」「見ゆ…見える…思える…まぐあう」「見…覯…媾…まぐあい」。


 古今和歌集によれば、或る帝が親王のころ、布留の滝をご覧に来られて、お帰りになられたので、法師の詠んだ歌。


 歌の清げな姿は、親王を思う心が白髪三千丈しきに誇張して表されてある。この親王は摂政藤原氏の都合で五十五歳まで帝になれなかったので、その心中を思い詠んだ歌。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、おとこの涙が多気の女の気を増し、下はますます見るだろう、と聞こえるところ。

 


 名にしおはゞいざことゝはむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと 
                                   
(百九十四)

 (名に付けられてあるので、さあ、ことを尋ねたい、都鳥よ、わが思う都のひとは健在か否かと……汝には、感極まるので、さあ、ことを尋ねたい宮この鳥よ、わが思うひとは、宮こに居るのか居ないかと)。


 言の戯れと言の心

 「なにしおはば…名にし負はば…名に背負っているので…汝にし老はば…汝に極まっているので」「名…汝…親しきもの…男のおとこ君」「し…強意を表す」「おふ…負う…老いる…極まる…感極まる」「みやこ鳥…鳥の名…名は戯れる、都の鳥、宮この鳥、極まったところにいる鳥」「鳥…女」「宮こ…都…京…山ばの頂上…絶頂…感の極み」「人…女…お妃候補だった人」。


 古今和歌集の要約によれば、「武蔵の国と下総の国の中にある隅田川の畔に至って、都がとっても恋しく感じたので、しばしの間、川の畔に下りて居て、思いやれば、限りなく遠くへ来たことよと思い、侘しくなって思いに耽っていると、渡守が、早く船に乗れ、日が暮れてしまうと言ったので、船に乗って渡ろうとする時に、皆、人はもの侘しくて、京に思う人がいないわけはない。そのような折に、白い鳥のくちばしと脚とが赤いのが、川の畔で遊んでいた。京には見かけない鳥だったので、皆、人は知らず、渡守に、これは何鳥かと問うたところ、これはだな、みやこ鳥と言ったのを聞いて詠んだ」とある。


 作歌の事情は伊勢物語に有る。伊勢物語をうわの空読みしていては、わからないけれども、この男、お妃候補などの教育係としてその母に頼まれて、妃として最も重要なことを教えていたらしい、つまり、「あてなる人…それに相応しい高貴な血筋の人…当てなる人…当て人」であった。情がうつり、女を背負って逃げ出したことがあったが、取り返されるなど、男は都に居づらくなって逃げて来たのだった。


 歌の清げな姿は、都にいるあの人を思い、健在かどうかと都鳥に問うところ。歌はただそれだけではない。

歌の心におかしところは、あの人は、女の頂点にいるか、宮こには至っているかと、宮こ鳥に問うところ。



 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。