帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第四 恋雑(二百二十三と二百二十四)

2012-07-26 00:05:40 | 古典

   



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第四 恋雑 百六十首
(二百二十三と二百二十四)


 あさき瀬ぞ波は立つらむ吉野川 深き心を君はしらずや 
                                 (二百二十三)
(浅い瀬よ、どうして波は立っているのでしょうね、吉野川、深い淵の心を、瀬は知らないのかな……情の浅い背の君よ、何しに汝身は立っているのかしらね、好しのかは、好いはずないでしょう、をみなの深い情を、君は知らないのねえ)。


 言の戯れと言の心

 「瀬…背…夫…男」「ぞ…強調する意を表す…強く断定する意を表す」「なみ…波…汝身…その身」「らむ…どうして何々しているのだろう…原因、理由などを推量する意を表す」「吉野川…川の名…名は戯れる。吉のかは、良しのかは、好しのかは」「川…女」「かは…だろうか…疑問の意を表す…そんなものだろうか、ではないでしょう…反語の意を表す」「君…対称…瀬…背…男」「や…疑問の意を表す…詠嘆の意を表す」。


 古今和歌集の歌ではない、入れられなかった歌かも。よみ人しらず。女歌として聞く。


 歌の清げな姿は、吉野川にて、浅瀬を見て詠んだ。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、浅いおとこの情愛や性愛に、深い女の憤懣を、詰問、揶揄で表したところ。



 わたつみのかざしに挿せる白妙の 波もてゆへる淡路島かな 
                                 (二百二十四)
 (海神の頭飾りに挿している、白妙の波を以てしめ縄にして、結ばれている淡路島かな……わたつ身の飾りのよう、差している白絶えの汝身を以て、結ばれている合わじ肢間かな)。


 言の戯れと言の心

 「わたつみ…海神…綿つ身…わたの身…柔らかい身」「かざし…挿頭…頭飾り…飾り程度の物」「白妙…白絶え…白々しく絶えた」「なみ…波…汝身…おとこ」「ゆへる…結ばれている…(白波をしめ縄として)結ばれている…(身と身が)結ばれている」「あはじしま…淡路島…島の名…名は戯れる。淡々しい島、合わない肢間…合わない女…和合していない女」「しま…島…女…肢間」「かな…詠嘆の意を表す」。


 古今和歌集 雑歌上。題しらず、よみ人しらず。女歌として聞く。


 歌の清げな姿は、淡路島を眺望した感想。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、合わじしまの、情浅くもの柔らかいおとこに対する憤懣を、諷刺、皮肉で表したところ。



 この両歌に限らず、恋歌と雑歌も「各又対偶」と漢文序でいう通り、「心におかしきところ」が同類で、両歌は「対偶…二つ揃ったもの…仲間…同じ類〕であることがわかる。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず

 
  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。