帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集巻第三 別旅(百八十一と百八十二)

2012-07-02 00:04:01 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知り、紀貫之の云う「言の心」を心得えれば、和歌の清げな姿のみならず、おかしさがわかる。藤原公任は、歌には、心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。「言の心」を紐解きましょう、帯はおのずから解け、人の生々しい心情が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第三 別旅 二十首
(百八十一と百八十二) 

 ここには、別離の歌と羇旅の歌を一対にして並べられてある。


 たち別れ因幡の山の峰におふる 松としきかばいまかへりこむ 
                                   
(百八十一)

 (立ち別れ、因幡の山の峰に生える松、待つと聞いたなら、すぐに帰って来るだろうよ……絶ちわかれ往なばの、山ばの頂上で感極まるひと、待つわと聞けば、井まに返りくるぞ)。


 言の戯れと言の心

 「たち…立ち…絶ち」「いなば…因幡…地名、国名…名は戯れる、往なば、去りゆけば、去りゆくので」「山…山ば」「みね…峰…頂上…絶頂」「おふる…生える…おいる…極まる…感極まる」「松…待つ…女」「いま…今…すぐに…井間に…女に」「帰り…返り」「こん…来む…来るだろう…推量を表す…来るつもりだ…意志を表す」。


 古今和歌集には題しらずとある。地方の国へ赴任の別れか、流罪で流される別れか、どのような状況で詠まれたかはわからない。


 歌の清げな姿は、待つと言ってくれるなら直ぐにも帰って来るぞという、別れ往く男の心情。歌は唯それだけではない。

 歌の心におかしきところは、一過性のおとこのさがを顧みず、再起を宣言するおとこの強がり。自分の意思で帰り来ることは叶わない別離でしょう。

 


 あまのはらふりさけ見れば春日なる 三笠の山にいでし月かも 
                                   
(百八十二)

(天の原、ふり離れて見れば、日の本の春日にある三笠の山に出た、同じ月ではないか……吾まの腹、ふり放ちて見れば、かすかである、三かさなる山ばに出た、つき人おとこだなあ)。


 言の戯れと言の心

「あま…天…女…吾間…我が妻女」「はら…原…腹」「さけ…離け…離れ…放け…放ち」「見…目で見ること…覯…媾…まぐあい」「かすが…春日…所の名…名は戯れる、故郷、微か、幽か、わずか」「みかさの山…三笠の山…山の名、名は戯れる、三かさねの山ば、見重ねの山ば」「月…月人壮士(万葉集の歌語)…つき人をとこ…おとこ」「かも…疑問、詠嘆などの意を表す」。


 古今和歌集には、もろこしにて月を見てよめるとある。詠まれた情況について長い注がつけられてある。また、紀貫之土佐日記にもこの歌のことが記されてある。船旅のときなので、初句「あをうなばら」とある。「青海原…吾をうな腹…わが女腹」と聞く。

 それらから、作歌の情況を掻い摘んで記すと、昔、或る人が、唐の国に留学生として遣わされて数年の後、帰国の船が難破して南方の明州という所に漂着した。都の長安の人々は、この船の人たちは亡くなったとばかり思っていた。そんなわけで、たぶん長期間を明州で暮らした後、ようやく長安に帰るという餞別の宴で、月を見ながら詠んだ和歌という。土佐日記(一月二十日)によると、彼の国の人にはわからないと思ったが、歌の「言の心」を漢字に書き出して、日本の言葉のわかる人に知らせたところ、彼の国の人々も、和歌の心を聞き得たのだろう、予想外に愛でたと伝わるとある。


 歌の清げな姿は、月に寄せて望郷の念を表したところ。和歌は唯それだけではない。

歌の心におかしきところは、妻を見重ねて山ばの京に送り届け尽くしたおとこに寄せて表した、意気消沈した男の心境。



 紀貫之の歌についての教えと、藤原公任の捉えた歌の様式を学び、清少納言と藤原俊成の言語観に倣って、当時の和歌を当時の人々と同じ聞き耳で、歌の心におかしきところを聞き、総数三百六十首の半ばを過ぎた。

歌の清げな姿しか見せられず、見えていなかった今の人々にも、貫之が「花実相兼」「玄之又玄」「絶艶之草」などという和歌の真髄が聞き得たでしょうか。愛でることができたでしょうか。心もとないままに記しつづける。



 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。