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「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義
「百人一首」の和歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成の歌論と言語観に従って、歌の「表現様式」を知り、「言の心」を心得て、且つ歌言葉は「浮言綺語に似て」意味が戯れることも知って、和歌を聞けば、「心におかしきところ」や「言の戯れに顕れる深い主旨・趣旨」が心に伝わる。ものに「包む」ように表現されて有り、それは、俊成の言う通り、まさに「煩悩」であった。
藤原定家撰「小倉百人一首」 (八十六) 西行法師
(八十六) 嘆けとて月やはものを思はする かこち顔なる我が涙かな
(嘆けと言って、月は悩ましい思いをさせるのか、ではないのに、美しい月の・所為だという顔をしている、恋する・我が涙であることよ……溜息でもつけと言って、尽き人おとこは、いやな思いをさせるのか、他人ごとのような顔している、わがおとこのなみだの玉よ)
言の戯れと言の心
「なげけ…嘆け…悲嘆しろ…哀しめ…溜息つけ」「月…大空の月…月人壮子…男…おとこ…尽き」「やは…反語の意を表す…疑問の意を表す」「もの…漠然と指示すること…云い難いこと…あれ」「かこち顔…他の所為にする顔…嘆いている顔つき…恨みがましい様子」「なみだ…目の涙…おとこの汝身唾…(法師の身にも夢の中でこぼれる)おとこ白玉」「かな…感嘆・詠嘆の意を表す」。
歌の清げな姿は、月を眺めて流していると見せている、悩ましい恋の涙かな。
心におかしきところは、つき人おとこは、いやな思いをさせる、ただ零れ出ただけだという顔の、わがおとこ白玉よ。
千載和歌集 恋五 「月前恋といへる心をよめる」、円位法師(出家した時の西行法師の法名)
西行法師は、鳥羽上皇の北面の武士であったが、二十三歳のとき出家した。新古今和歌集の代表的歌人、九十五首入集する。俊成、定家親子とは親しかったようである。
さて、上の歌、現代の高校生の用いる普通の古語辞典の解釈は「嘆けと言って、月は物思いをさせるのだろうか、いやそうではない、(本当は恋の思いのせいなのに)、月が物思いをさせているかのように、かこつけがましくも、流れるわたしの涙であることだ」。
別の古語辞典の解釈も「悲しみにひたれと言って、月が私に物思いをさせるのだろうか、そうではないのに、いかにも月のせいのように、こぼれる私の涙であるよ。――涙がこぼれるのは月のせいではなく、恋のためであるという歌」。
他の国文文学の参考書の解釈も当然、古語辞典と大差はない。いずれも、歌の「清げな姿」から一歩も出られない。西行が、そんな一義な歌を詠んで、もて囃されていたか?。
一千年以上も、後の人々が和歌の意味を知る為には、古今集仮名序の結びの言葉は重要である。歌を解くカギが明確に教示されてある。
歌の様を知り、言の心を得たらむ人は、大空の月を見るが如くに、古を仰ぎて今を恋ざらめかも。
歌の表現様式を知り、言の心(字義以外にこの文脈で通用していた意味)を心得る人は、大空の月(つき人おとこではありませんぞ)を見るように、古今集の時代を仰ぎ見て、今の我々の歌を恋しく思はないだろうか、いや、恋しがるだろう。
「大空の」は飾り言葉ではなく、必要な言葉であった。なければ、「ささらえをとこ・突き・尽き」と聞いて笑い出すお人が居るかもしれないのである。万葉集を一読すれば、月の「言の心」は壮士・壮子で、男・おとこであることは、誰でもすぐにわかる。