帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

「小倉百人一首」 (六十五) 相 模 平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-03-06 19:25:00 | 古典

             



                      「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義



 歌の奥義は、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、
定家の父藤原俊成ら平安時代の歌論と言語観によって紐解けば蘇える。

公任は「およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」と優れた歌の定義を述べた。和歌は、歌言葉の多様な戯れの意味を利して、一首に、同時に、複数の意味を表現する様式であった。

藤原定家は上のような人々の歌論や言語観に基づいて、秀逸と言うべき歌を百首撰んだのである。



 藤原定家撰「小倉百人一首」
(六十五) 相模


   (六十五)  
うらみわびほさぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそをしけれ

(不満を感じ、哀しみ嘆き、乾かない涙の袖があるものを、わたしは・恋に朽ちてしまうのでしょう、たち消える・浮名までもが惜しまれることよ……裏見、きみの・気力なく、尽くしていないわが身の端があるものを、乞いに朽ちてしまうのでしょう、汝身ぞ、惜しまれることよ)

 

言の戯れと言の心

「うらみ…恨み…不満を感じ…裏見…再見…二見」「見…覯…媾…まぐあい」「わび…思い悩む…落胆する…哀しみ嘆く」「ほさぬ…干さぬ…乾かない…(水など飲み)干さない…し尽くさない…やりきっていない」「そで…袖…衣の袖…端…身の端…おんな」「だに…でさえ(言外に、それより愛着する物があることを示す)」「ものを…のに…のになあ…感嘆・詠嘆を表す」「こひ…恋…乞い…求める」「くち…朽つ…すたれる…衰える…空しく終わる」「なむ…(朽ち)てしまうだろう…きっと(朽ちて)しまうだろう…強く推量する意を表す」「な…名…浮き名…噂…汝…親しきものをこう呼ぶ…汝身…貴身」「をし…惜し…愛しい…愛着がある…執着がある」「けれ…けり…詠嘆を表す」。

 

歌の清げな姿は、恋の涙に濡れた衣の袖が在るものを、君との浮名はたち消えてゆく、あゝ、その恋が惜しまれる。

心におかしきところは、わが乞いに・二見して、し尽くせない身の端が在るものを、涸れ尽きる貴身が惜しまれる、あゝ。

 

後拾遺和歌集 恋四、永承六年内裏歌合の歌。

相模は、相模国守の妻だったための通称。離別後、一条天皇の皇女に女房として仕え、歌の才能をあらわした。権中納言定頼とも浮名を流したようである。清少納言、和泉式部、紫式部らの次世代才媛の一人で、伊勢大輔、大弐三位、式部内侍らとほぼ同じ世代の人である。藤原道長の子、関白左大臣頼通の時代。



  相模
の歌をもう一首聞きましょう。関白左大臣頼通歌合の歌で、題は、五月雨(さみだれ)。

さみだれはみつの御牧のまこも草 かり干すひまもあらじとぞ思ふ

(五月雨は・梅雨の候は、みつの御牧場のまこも草、刈り干す暇もありはしないと思うよ……さ乱れに降るおとこ雨は、見つの身真木の、間こもおんな、かりし尽くす間も、ありはしないわと思う)

 
 「さみだれ…雨の名、名は戯れる。梅雨、さ乱れ、さ淫れ、おとこ雨」「さ…接頭語」「みつのみまき…牧場の名、名は戯れる。見つの身真木、見つのおとこ」「見…覯…まぐあい…身」「まこも草…水草の名、名は戯れる。間こも女、真こもおんな」「間・草…言の心は女」「かり…刈り…猟…娶り…まぐあい」「ほす…干す…(水など飲み)干す…し尽くす」。  

 歌の清げな姿は、梅雨時の牧場の風景と人々の営み。
  心におかしきところは、おとこのさがを見るおんなの心情。