帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

「小倉百人一首」 (六十一) 伊勢大輔 平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-03-02 19:28:53 | 古典

             



                     「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義



 秘伝となって埋もれ木のように朽ち果てた和歌の奥義は、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、
定家の父藤原俊成ら平安時代の歌論と言語観によって蘇える。公任は「およそ歌は、心深く、姿きよげに、心におかしきところあるを、優れたりと言うべし」という。歌言葉の意味の多様な戯れを利して、一首に、同時に、複数の意味を表現する様式であった。藤原定家は上のような人々の歌論や言語観に基づいて「優れたりと言うべき」歌を百首撰んだのである。



 藤原定家撰「小倉百人一首」
(六十一) 伊勢大輔


  (六十一)
 いにしへの奈良の都の八重桜 けふここのへににほひぬるかな

(むかしの奈良の都の八重桜、今日、九重に・宮中に、色艶美しく咲いたことよ……過ぎ去った寧楽の感の極みの八重に咲いたおとこ花、京、ここのへに・八重にさらに一重ね、咲き匂ったことよ)

 

言の戯れと言の心

「いにしへ…昔…古…過ぎ去った」「なら…奈良…寧楽(万葉集の表記)…都の名…名は戯れる。成良、丁寧な快楽」「みやこ…都…宮こ…京…ものの極み…感の極み」「八重桜…桜の品種の名…桜の言の心は男花…八重に咲くおとこ花…木の花の桜は、男花であると心得ることが歌を聞く大前提である」「けふ…今日…きゃう…京…山ばの頂上…ものの極み…感の極み」「ここのへ…九重…八重に加える一重ね…宮中…此処の辺…京」「にほひ…色美しい…色艶…色香…匂い…香り」「ぬる…ぬ…完了した意を表す…濡る…濡れる…緩む」「かな…感嘆・感動を表す」。

 

歌の清げな姿は、返礼の歌。献上された八重桜の艶やかな色を愛でて謝意とした。

心におかしきところは、謝礼の意が、なをも一重ねされた、おんなの極みでの喜びとして顕れるところ。

 

詞花和歌集(第六番目の勅撰集)、春。詞書「一条院の御時、奈良の八重桜を人のたてまつりて侍りけるを、その折に御前に侍ければ、歌よめとおせられければよめる」。

京の桜が散り果てた頃、毎年恒例のように、奈良興福寺の僧より、咲き誇った八重桜が中宮の許に献上された。その御礼の歌を毎年紫式部が詠んでいたが、その役を伊勢大輔が譲られたので詠んだという。


 

桜花を男花と心得て「けふ」などの戯れを知れば、「心におかしきとろ」が顕れる。優れた歌とされたことが納得できる。一義に読んで「清げな姿」を見て、解釈者の憶見を加えても、文脈が異なるので、当時の優れた歌の意味からは程遠いのである。


 赤染衛門の重厚さと和泉式部の妖艶さを兼ね備えた歌である。もとより、伊勢大輔は、父大中臣輔親、祖父大中臣能宣という、伊勢神宮の祭主と歌詠みの家柄の出である。たぶん、中宮彰子の母倫子と女房の紫式部が願っていたであろう、後宮を代表する若き女房が誕生したのである。