帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

「小倉百人一首」 (七十) 良暹法師 平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-03-11 19:40:35 | 古典

             



                      「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義



 和歌を解くために、更に原点に帰る。最初の勅撰集である古今集の仮名序の冒頭に、和歌の定義が明確に記されてある。「やまと歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞ成れりける。世の中に在る人、事、わざ、繁きものなれば、心に思ふ事を、見る物、聞くものに付けて、言いだせるなり」。「事」は出来事、「わざ」は業ではあるが、技法でも業務でもない、「ごう」である。何らかの報いを受ける行為とその心とすると、俊成のいう「煩悩」に相当し、公任のいう「心におかしきところ」(すこし今風に言いかえれば、エロス、性愛・生の本能)に相当するだろう。これが和歌の真髄である。


 

藤原定家撰「小倉百人一首」 (七十) 良暹法師


   (七十)
 さびしさに宿をたち出でてながむれば いづこも同じ秋の夕暮れ

(独り・さびしさのために、庵をふらりと出て、もの思いに耽り・ぼんやりと眺めれば、何処も同じ、ものさびしい・秋の夕暮れよ……独りでに・生気失せ心細くて、屋との外に出て、ながめれば、何処も・いづ子も、同じ飽きの果て方だなあ)

 

言の戯れと言の心

「さびし…寂し…淋し」「淋…にじむ…したたる」「に…のために…原因・理由を表す」「やど…宿…住処(庵)…やと…屋戸・屋門」「宿・屋・戸・門…言の心は女、おんな」「たち出で…ふらりと戸外に出る…出家する…法師になる…絶ち出る」「ながむ…眺める…もの思いに沈む…見つめる」「いづこ…何処…出づ子…精気出てしまったおとこ」「秋の夕暮れ…秋の陽の暮れ方…飽きの果て方…体言止めの余情がある・精気失せたいやな感じ」

 

歌の清げな姿は、独り住まいの寂しさに戸外に出てみれば、何処も、ものがなしい秋の夕暮れの景色。

心におかしきところは、おとこの生身の本能の淋しきとき、生の気色を種にして、言の葉にした。

 

後拾遺和歌集 秋上 題不知、良暹(りょうぜん)法師。比叡山祇園(寺)別当という。関白太政大臣藤原頼道(道長の長男)と、ほぼ同時代を生きた。

 

 

  新古今和歌集 秋歌上 題しらず、寂蓮法師の「秋の夕暮れの歌」を聞きましょう。

 さびしさはその色としもなかりけり まき立つ山の秋の夕ぐれ

(寂しさは、その紅葉色も無いのだなあ、杉や檜の立つ山の、秋の夕暮れよ……淋しさは、その色とても褪せて無く・透明、真木・おとこ、立つ山ばのあきの果て方よ)

 

「その色…秋の色…紅葉色…ものの白色」「木…言の心は男」「秋…季節の秋(歌集はこの表の意味で分類されてある)…飽き…厭き…ものの果て方」「夕ぐれ…夕暮れ…陽の暮れ…ものの果て」。

 

寂蓮(じゃくれん)法師は藤原俊成の甥にあたる人、俊成の養子となり後に出家した。定家の従兄弟・名目上の兄。新古今和歌集の代表的歌人の一人。良暹、俊成、寂蓮、定家は、「歌論や言語観」において同じ文脈に在る。