■■■■■
「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義
和歌を解くために、更に原点に帰る。最初の勅撰集である古今集の仮名序の冒頭に、和歌の定義が明確に記されてある。「やまと歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞ成れりける。世の中に在る人、事、わざ、繁きものなれば、心に思ふ事を、見る物、聞くものに付けて、言いだせるなり」。「事」は出来事、「わざ」は業ではあるが、技法でも業務でもない、「ごう」である。何らかの報いを受ける行為とその心とすると、俊成のいう「煩悩」に相当し、公任のいう「心におかしきところ」(すこし今風に言いかえれば、エロス、性愛・生の本能)に相当するだろう。これが和歌の真髄である。
藤原定家撰「小倉百人一首」 (七十) 良暹法師
(七十) さびしさに宿をたち出でてながむれば いづこも同じ秋の夕暮れ
(独り・さびしさのために、庵をふらりと出て、もの思いに耽り・ぼんやりと眺めれば、何処も同じ、ものさびしい・秋の夕暮れよ……独りでに・生気失せ心細くて、屋との外に出て、ながめれば、何処も・いづ子も、同じ飽きの果て方だなあ)
言の戯れと言の心
「さびし…寂し…淋し」「淋…にじむ…したたる」「に…のために…原因・理由を表す」「やど…宿…住処(庵)…やと…屋戸・屋門」「宿・屋・戸・門…言の心は女、おんな」「たち出で…ふらりと戸外に出る…出家する…法師になる…絶ち出る」「ながむ…眺める…もの思いに沈む…見つめる」「いづこ…何処…出づ子…精気出てしまったおとこ」「秋の夕暮れ…秋の陽の暮れ方…飽きの果て方…体言止めの余情がある・精気失せたいやな感じ」
歌の清げな姿は、独り住まいの寂しさに戸外に出てみれば、何処も、ものがなしい秋の夕暮れの景色。
心におかしきところは、おとこの生身の本能の淋しきとき、生の気色を種にして、言の葉にした。
後拾遺和歌集 秋上 題不知、良暹(りょうぜん)法師。比叡山祇園(寺)別当という。関白太政大臣藤原頼道(道長の長男)と、ほぼ同時代を生きた。
新古今和歌集 秋歌上 題しらず、寂蓮法師の「秋の夕暮れの歌」を聞きましょう。
さびしさはその色としもなかりけり まき立つ山の秋の夕ぐれ
(寂しさは、その紅葉色も無いのだなあ、杉や檜の立つ山の、秋の夕暮れよ……淋しさは、その色とても褪せて無く・透明、真木・おとこ、立つ山ばのあきの果て方よ)
「その色…秋の色…紅葉色…ものの白色」「木…言の心は男」「秋…季節の秋(歌集はこの表の意味で分類されてある)…飽き…厭き…ものの果て方」「夕ぐれ…夕暮れ…陽の暮れ…ものの果て」。
寂蓮(じゃくれん)法師は藤原俊成の甥にあたる人、俊成の養子となり後に出家した。定家の従兄弟・名目上の兄。新古今和歌集の代表的歌人の一人。良暹、俊成、寂蓮、定家は、「歌論や言語観」において同じ文脈に在る。