帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

「小倉百人一首」 (七十一) 大納言経信 平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-03-12 19:37:00 | 古典

             



                     「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義



 和歌を解くために、更に原点に帰る。最初の勅撰集の古今和歌集仮名序の冒頭に、和歌の定義が明確に記されてある。「やまと歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞ成れりける。世の中に在る人、事、わざ、繁きものなれば、心に思ふ事を、見る物、聞くものに付けて、言いだせるなり」。「事」は出来事、「わざ」は業であるが、技法でも業務でもない、「ごう」である。何らかの報いを受ける行為とその心とすると、俊成のいう「煩悩」に相当し、公任のいう「心におかしきところ」(すこし今風に言いかえれば、エロス、性愛・生の本能)に相当するだろう。これが和歌の真髄である。


 

藤原定家撰「小倉百人一首」 (七十一) 大納言経信


   (七十一)
 夕されば門田の稲葉おとづれて 葦のまろやに秋風ぞ吹く

(夕方ともなれば、門前の田の稲葉、音立てて、葦葺きの丸木屋に、秋風が吹くことよ……夕・月人壮士、来て然様になれば、門多の否の言の葉も、おと・おとこと門、連れて、脚の間ろやに、飽き満ちた風ぞ、吹く)

 

言の戯れと言の心

「夕されば…夕方となれば…夕、然様になれば…月人壮士が訪れれば」「夕…月…月人おとこ」「門田…門前の田…おんな多」「門…と…おんな」「田…た…おんな…多…多情」「稲葉…いなば…稲の葉…否の言葉…否の身の端」「おとづれ…音を立てる…訪れ…(別の情態が)訪れる…声立てる…おと連れて…おとことおんな連れて」「葦…あし…肢…脚」「まろや…丸屋…粗末な家…丸太の柱の家…間ろ屋」「家・屋・間…言の心は女・おんな」「秋風…心に吹くあき風」「あき…秋…飽き…飽き満ち足り…厭き…嫌々」。

清少納言のいう通り、「男の言葉(漢字)」も和歌の言葉(女の言葉)と同様に、「聞き耳異なるもの」である。文字は、それぞれ複数の意味を孕んでいた。

 

歌の清げな姿は、秋風が葦葺きの粗末な仮小屋に、門前の田の稲葉をそよがせ、音たてて吹いている、初秋の風景。

国文学の常識では、このような歌を叙景歌といい、他意は無いかのように解く。この時、冒頭に掲げた和歌の定義または本質は全く無視されているのである。この清げな風景は、心に思う事をこと付けるための『見るもの・聞くもの』である。

心におかしきところは、性愛に関わる煩悩。俊成のいう通り『浮言綺語のように戯れる歌言葉の内に顕れる趣旨』である。


 

大納言経信(つねのぶ)は、「金葉和歌集」撰者の源俊頼の父である。藤原公任に継ぐ詩歌の達人と言われた人という。公任よりおよそ五十年後の人。

金葉和歌集 秋部  詞書「師賢朝臣の梅津に人々まかりて、田家秋風といへることをよめる」。源師賢の山荘に人々集まって来て、田家秋風(田舎の家の秋風…多情女の飽きの心風)を題に和歌を詠んだということ。