帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

「小倉百人一首」 (七十八) 源兼昌 平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-03-20 19:27:41 | 古典

             



                     「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義



 『百人一首』の和歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成の歌論と言語観に従って、歌の表現様式を知り、「言の心」を心得て、且つ歌言葉は「浮言綺語に似て」意味が戯れることも知って、歌の「心におかしきところ」を享受してみれば、国文学の解釈とは大きく隔たり、近代以来の現代短歌の表現方法や表現内容とは全く異なる驚くべき文芸であった。
このように言いきれるのは、すでに数多くの和歌の「心におかしきところ」や「言の戯れに顕れる深い主旨・趣旨」が、心に伝わったからである。それは、ものに「包む」ように表現されて有り、まさに「煩悩」であったからである。今のところ、これ以上に、わが和歌解釈の正当性を論理的に説明する方法はない。

今の人々は、上の歌論と言語観を無視した国文学的解釈に否応なく絡められ慣らされているため、歌言葉の戯れの意味に違和感を覚え、まして、歌の奥に顕れる深くも妖艶なエロスに心を背けるだろう。しかしやがて、和歌の真髄に気付いてもらえるだろう、人の心の本音だから。


 

藤原定家撰「小倉百人一首」 (七十八) 源兼昌


  (七十八)
 淡路島かよふ千鳥の鳴く声に 幾夜寝覚めぬ須摩の関守

(淡路島、行き通う千鳥の鳴く声に、幾夜、寝覚めたことか、須摩の関守よ……淡路し間・合わじ肢ま、情け通わす、女の泣く声に、逝く夜・起されたか、洲間の・巣魔の、門盛る男よ)


 言の戯れと言の心

「淡路島…島の名…名は戯れる。淡い通い路の肢間…淡いおんな…合はじ肢間…和合ならぬおんな」「かよふ…通う…往来する…交遊する…ものが行き来する」「千鳥…水辺に群れる小鳥の名…しば鳴く鳥…泣く女…言の心は女(あふみのみ夕波千鳥汝が鳴けばこころもしのに いにしへ思ほゆ・と人麻呂が詠んだのは、恐らく壬申の乱で逃げ惑い、泣く女たちのイメージ)」「声…鳴く声…泣く声」「ねざめぬ…寝覚めた…眠りを覚まされた…起された」「須摩…すま…地名…名は戯れる。洲間、巣間、巣魔、おんな」「関…せき…関所…関門…門…と…身の門…おんな」「門…と…言の心は女…おんな」「もり…守る人…見守るべき男…門を盛り上げるべきおとこ」。

 

歌の清げな姿は、淡路島の千鳥、須摩の関所あたりに飛来して、しば鳴く冬の夜の風情。

心におかしきところは、しきりに乞いして泣く女に、す間の盛りを見守るべきおとこの悲哀。

 

金葉和歌集 冬部 源兼昌、「関路千鳥といへることをよめる」。



 源兼昌は、堀河院百首歌や法性寺入道前関白太政大臣忠頼の歌合などに出品していた人。勅撰集に入る歌は計七首ばかりで少ないが、この歌は、定家の歌論にも適って秀逸の歌である。


 定家は「毎月抄」で、次のように述べていることは(一)の冒頭に示した。今なら曲がりなりにも読みとけそうである。

秀逸の歌は「先ず、心深く、たけ高く巧みに言葉の外まで余れる様にて、姿けだかく、詞なべて続け難きが、しかも安らかに聞こゆるやうにて、おもしろく、幽かなる景趣たち添ひて、面影ただならず、気色は然るから、心も、そぞろかぬ歌にて侍り」

 

この優れた歌は、先ず、女と男の性(さが)の性格の永遠の違いを表して深い心がある。

空高く飛来して来た千鳥の群れが、ぬばたまの夜、何かを求めて鳴く風情は巧みで、言葉以上に余情を感じさせる。この「清げな姿」は気高く、普通の言葉が並んで続け難いものなのに妙に安らかな調べがあるように感じ快い。

幽かなる玄之又玄なるところに、性愛の趣きが添えられてあって、そのさま、ただならぬ気色であるが、心も、ただ漫然と浮つかない歌である。