帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

「小倉百人一首」 (七十二) 裕子内親王家紀伊  平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-03-14 19:28:41 | 古典

             



                     「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義



 和歌を解くために原点に帰る。最初の勅撰集の古今和歌集仮名序の冒頭に、和歌の定義が明確に記されてある。「やまと歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞ成れりける。世の中に在る人、事、わざ、繁きものなれば、心に思ふ事を、見る物、聞くものに付けて、言いだせるなり」。「事」は出来事、「わざ」は業であるが、技法でも業務でもない、「ごう」である。何らかの報いを受ける行為とその心とすると、俊成のいう「煩悩」に相当し、公任のいう「心におかしきところ」(すこし今風に言いかえれば、エロス、性愛・生の本能)に相当するだろう。これが和歌の真髄である。


 

藤原定家撰「小倉百人一首」 (七十二) 裕子内親王家紀伊(一宮紀伊)


   (七十二)
 音に聞く高師の浜のあだ浪は かけじや袖のぬれもこそすれ

(うわさに聞く高師の浜の浮かれた浪は、しぶき・掛けないでしょうねえ、衣の袖が濡れるとこまるわ……うわさに聞く、貴しの端間に寄せ来る不実な汝身は、欠けないでしょうねえ、身の端濡れるだけでは否なのよ)

 

言の戯れと言の心

「高師の浜…浜の名…名は戯れる。高しの浜、貴しの端間」「浜…ひん…端間…言の心は女」「あだ…徒…不誠実…浮かれた」「浪…片男波…汝身…き身」「かけじ…(飛沫など)掛けないでしょう…(声など)掛けないでしょう…(汝身など)欠けないでしょう」「じ…打消推量」「や…疑い・問い・詠嘆の意を表す」「袖…そで…衣の袖…身の端」「もこそすれ…もこそする…そうすると困る…そうすると良くない…起こる情態を危惧する意を表す…すると嫌」「こそ…強調」。

 

歌の清げな姿は、高しの浜に気まぐれに寄り来る浪に衣の袖濡れるのはいやよ。

心におかしきところは、貴しの端間に寄せ来る並の汝身よ、山ばの途で欠けないでしょうね、濡れるだけではいやなの。

 

金葉和歌集 恋下、「堀川院の御時、艶書合によめる」。康和四年(1103)閏五月二日、数日前に宮の男どもが思い思いに恋歌を詠み、宮の女たちにまとめて届け、女たちがそれぞれの返し歌を詠んで飾り付けして、男どもの許に届けられたうちの一首。言わば恋歌遊びの歌である。



  この歌に、合わされた男の歌を聞きましょう。

人知れぬ思ひあり磯の浜風に 浪の寄るこそいはまほしけれ

(人知れず思い荒磯の浜風吹くために、浪の寄る・我が身のひき寄せられる、その思いを告げたいことよ……人知れず、われに・思い有りそうな端間風のために、汝身が、寄るこそ・夜にこそ、あなたの・岩間欲しいことよ)

 
「磯・浜・岩…言の心は女」「風…心に吹く風」「浪…片男浪…あだ浪…寄せては返るもの…男・おとこ」。

 

このような歌が、十組二十首。二日後には女たちの艶歌が届けられ男どもの返歌が有ったので、合計二十組のカップルの四十首の「心におかしきところ」を楽しんだのである。その片鱗を、今の人々に示すことが出来ただろうか。

 

高度な表現方法と心におかしい内容のある、誇るべき和歌が、我が国には少なくとも数万首遺されてある。それが今や奇妙な国文学的解釈に覆われ埃をかぶって、その姿だけ見えて、人の深い心も、しも半身も見えなくなっていることは示せただろうか。