帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

「小倉百人一首」 (八十一) 後徳大寺左大臣 平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-03-24 19:24:44 | 古典

             



                     「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義



 「百人一首」の和歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成の歌論と言語観に従って、歌の「表現様式」を知り、「言の心」を心得て、且つ歌の言葉は「浮言綺語に似て」意味が戯れることも知って、和歌を聞けば、
「心におかしきところ」や「言の戯れに顕れる深い主旨・趣旨」が心に伝わる。それは、ものに「包む」ように表現されて有り、まさに「煩悩」であった。

百首の八割程の歌を紐解いてきて、撰者の藤原定家と同じ文脈に足を踏み入れて、同じ「聞き耳」をもって、歌を聞いているという確信がやってきた。


 

藤原定家撰「小倉百人一首」 (八十一) 後徳大寺左大臣


   (八十一)
 ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただありあけの月ぞ残れる

(ほととぎす、鳴いた方を眺めれば、唯、有明の月が、残っていることよ……ほと伽す、泣いてしまったお方を長くみれば、ただ在るのは、つとめて・明けの尽き人おとこが、残っているよ)

 

言の戯れと言の心

「ほととぎす…鳥の名…名は戯れる。時鳥、郭公、カッコウ、且つ乞う、なおも求める、ほと伽す」「鳥…言の心は女」「ほと…お・門…おとことおんな」「鳴きつる…泣きつる…泣いた…泣いてしまった」「方…方向…ひと」「ながむ…眺める…長く見る…長める」「見…覯…媾…まぐあい」「ただあり…唯在り…ただ存在する」「ありあけの月…有り明けの月…明け方空に残る月」「あけ…(夜)明け…(期限)明け…つとめ果たし…尽くし果て」「月…月人壮士…尽きひとおとこ」「残れる(体言が略されてあるが、体言止め、余情がある)…残月よ…尽きの残がいよ」。

 

歌の清げな姿は、ほととぎすの声、空に残る月、夏の朝の風情。

心におかしきところは、且つ乞うと泣くまで、つとめて果てた、おぼろなる月人おとこよ、空しき残がいよ。

 

千載和歌集(藤原俊成撰・1188年頃成立)夏歌 「暁聞郭公といへるこころをよみ侍りける」、右のおほいまうちぎみ。

藤原定実が右大臣だった頃の歌。後徳大寺左大臣・藤原実定は、俊成の甥、定家の従兄弟である。

 

この歌には、序詞、掛詞、縁語はなさそうで、「歌の清げな姿」だけを見て、その情趣が、この歌のすべてと思うようになった。なぜだろうか、それだけでは「秀逸の歌」といえないと思えば、解釈者は憶見を加え、それらしき歌にしてこの歌の解釈とする。解釈者の数だけこの歌に意味があるのだろうか、それとも解釈者の解釈の優劣によってこの歌の解釈が決まるのだろうか、優劣を決めるのも同じ文脈の人たちである。このとき、もはや誰もが、平安時代の歌論や言語観を全く無視していることに気付かなくなるようである。

このような歌を好しとする文芸(短歌や俳句)の波があってもいい、世につれて、表現方法や内容が自由に変化するのは当然である。しかし、古典文芸の解釈が同じように、後の世の波に乗っては、奇妙な解釈というほかない。