中井悠美子(悠石)「四季の絵文日記」 2011/9/24~

四季を語る「絵文」と、日常を織り交ぜた小さな日記。
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Vol. 859 種田山頭火の句はお好きですか?

2017年08月24日 17時58分47秒 | 日記
   
   JR防府駅てんじんぐち(北口)前にある種田山頭火像  日本中を托鉢して歩きその一生を終えたのですね。

   彼は、1882年(明治15年)12月3日 山口県佐波郡西佐波令村第百三十六番屋敷
   (現・防府市八王子二丁目十三)にて大地主・種田家の長男として生まれる。

   
   生家跡だそうです

   彼は自分の人生を「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、
   そこから句が生まれたような一生だった」。山頭火は晩年の日記にそう記した。
   その時には、すでに無一文の乞食であった。その境遇は山頭火自らが望んだものだった。
   と、言うことですが、幼い頃に自死した母から受けた影響は大きかったことでしょう。
  
   私が「山頭火」知ったのは26歳の頃であったと思います。
   松山近くを故郷とする友人との松山への旅で知ったのでした。
   旅は  昭和48年頃 彼の「終焉の場所となった一草庵」を訪ねましたが、
   その当時、何方かがお住まいであったように記憶しています(場所だけを確認)  
   
   さて、その一草庵について
   彼は以下のように書き残しています。
     「一草庵記」 昭和15年(1940)年5月
     わが庵は御幸山すそにうづくまり、お宮とお寺とにいだかれてゐる。
     老いてはとかく物に倦みやすく、一人一草の簡素で事足る。
     所詮私の道は私の愚をつらぬくより外にはありえない。
       ***  おちついて死ねさうな草萌ゆる  ***
             昭和15年 没 享年58歳
     荻原井泉水とともに、五・七・五にとらわれない「自由律俳諧」を詠んだ代表的な一人でした。
   
   
   一草庵
   
   現在は整備され、市民の憩いの場所となっているようです。
   内部見学も出来るようです。9月には訪ねてみようと思っています。

   http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic41.html
   こちらのサイトは、興味深く詳しく彼の一生をたどっています。
   ご興味がおありでしたら是非ご訪問下さいませ。

   分け入つても分け入つても青い山
     晴れたり降ったり青田になった

   私の特に好きな二句です

   人生はなかなか思うようにはならないけれど
   倦まず弛まず・・・生きてゆこうとこの句を思い出しては自分を励ましているのです。

   さて、皆様本日もご訪問頂きありがとうございました・・・
   





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2 コメント

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小百科事典 (臥龍)
2017-08-25 08:05:18
今朝も楽しみのブログを拝見。ありがとうございました。

過去のブログを見直してみますと、なんとジャンルの広いこと。小百科事典が出来そうです。

これからも知識と楽しみをよろしくお願いいたします。
返信する
ご訪問頂き感謝! (臥龍様へ)
2017-08-25 10:10:51
ありがとうございます。
なんだか、とても励まされます。

検索の知識に、自分を織り交ぜて
書かせて頂いています。

この時代であるからこその「ブログ内容」
コピペばかりでごめんなさい(^_-)

毎日は書けないと思いますが・・・頑張ります!!
返信する

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