チャンネル桜・瓦版:世論(多数意見)の真逆(少数意見)がほとんど正しい・西村浩一ブログ

全ての情報は「誰か(犯人)の利益のプロパガンダ」で見ると『真相』が分かる。 チャンネル桜の「草莽崛起。」を応援しょう!

 麻布問答:日本語は、『間口』のほかに『奥行』(多義性)をもつ「立体(幾何級数)的。」言語

2015-01-15 10:30:41 | 日本語が世界の公用語になる
  麻布問答:日本語は、『間口』のほかに『奥行』(多義性)をもつ「立体(幾何級数)的。」言語

 R(麻布老人):君はブログの原稿作りのために友達に長電話して、友人の奥さんたちに嫌われたために、最近はさすがに『自粛』しているようだね…?

 K(喜多八):そうなんだよねえ~。 

 『言葉』(言語)の役割には、①、『伝達』(コミュニケーション)と②、『思考』(consideration)の2つがあるよね…。

 そして、人が物を考えるためにはこの言葉(概念)を使って、誰かと『話す』か、『書く』(ブログにする)ということが有効だというんですよ…。

 R:う~ん。

 けれども、ブログ・アップやメールとかしても、あまり「リ・コメント。」がないと云っていたよね…!?

 まあ、『返事』がないということは、①、興味がない、②、そんなことは知っている、③、何のことだか分らない、ということの「どれか。」なのだろうねえ~。

 とすれば、それ以上の「会話ラリー。」による「弁証法的。」思考発展はないから、『会話』(メール)や「ブログ。」は中断(お声がなければ、通過しま~す)となるのかいね…。

 K:まあ、しかし、14年8月からの5か月でブログ数920本ですが、「言葉の役割。」の2、『思考』のための「日本語の優位性。」を痛感しますねえ~。

 世界に類を見ない日本語の持つ「曖昧さ。」は、その意味を『文脈』の中で捉えねばならないという優れて「想像(創造)性。」を持っている『言語』だと思うのですよ…!

 他民族の集合である国の言語、つまり英語など他国語は意味(概念)が明確で「固い。」(融通がない・レベルが低い)言葉だと思うのですよ…。

 R:う~む。

 英語などの他国語は、言ってみれば、建物を表面から写真を撮って(1面的に)見ているようなものだというのだね…!?

 それに対して、「日本語の曖昧さ。」という「優位性。」を例えて言うと、『表面』だけの一義(2次限)的な意味(=他国語)のほかに、『奥行』という「多義性。」がある、いわば立体(3次限)的な『言語』だということかね…!?

 K:そうだよねえ~。

 多義性のある「日本語。」をさらに『文脈』によって、どのようにでも『解釈』をするという「思考作業。」というものは、言ってみれば「2の何乗。」もの『変化』(無数の)を生じさせるもの(可能性)だと云えますよ…。

 日本語での学校生活を送る日本人の「思考訓練。」(ブログ:「やはり英語はダメでしょう」参照)が続く限り、ノーベル賞は「日本人が独占するのではないのかいねえ~。」と思うのですよ!??

           <未完>







  日本語が、世界の公用語になる…:チャンネル桜・瓦版、朝日新聞の原罪、「慰安婦強制連行」の虚構

2015-01-14 14:38:18 | 日本語が世界の公用語になる
    日本語が、世界の公用語になる… 

 金田一春彦『日本語』についての所見は、大変参考になり有難くお礼を申し上げます。

 特に(1)「曖昧な言葉が多い。」という『特長』が、「日本語が、世界の公用語。」になる要因になるのではないかと思うのです…?

 その他に、「深読み。」して、挙げていただいた『特徴』として

(2)尊敬語・丁寧語・謙譲語など他国語にはない。
(3)男言葉・女言葉がある。
(4)「私(英語でI)」だけでも、私・あたし・俺・僕・自分・わし・古くは拙者など10種類以上もある。
(5)多くの場合、主語・目的語・所有格などを省略する。
(6)漢字・ひらがな・カタカナと文字の種類が多い、最近では英語も。
(7)書籍や新聞など縦書き(中国語さえほとんど横書き。人民日報も横書き)

 などがあるわけですが、これによっても日本語の深みやきめ細かさなどの「優位性。」があることがわかります。

 けれども、日本語が「世界の公用語。」になる最大の『長所』は、その「あいまいさ。」であると考えているのですよ…。

 それは、英語などの外国語が、『概念』がはっきり(判然)としている『言語』であり「紛れがない。」のに反して、日本語は「曖昧である。」ため「前後の『文脈』。」によって「意味が多様に。」変化することが、大変な『長所』であると思うのです…。

 この2つの違いが『発生』した原因は、日本国は「1民族1言語。」であるのに対して、日本以外の外国は総じて「多民族多言語。」であることに拠るのだと考えます。

 ここで、私見ではありますが、『言語』には①、「コミュニケーション。」のための言葉と、②、「思考する。」ための言葉、とあると思うのです…。

 そこで、①、のコミュニケーションのためには「曖昧でない。」英語など外国の言語が、「紛れ無く。」伝わるため、「意思伝達。」や「商業契約書。」、「法律事務。」などにおいては『明確』であり優れていると考えます。

 そのため、「グローバル化。」と言われている現代においては、「『英語』が世界の公用語である…。」などという『嘘話』が蔓延するに至っています…!?

     <以下続きます>



 <一国一語主義こそ、世界帝国のいしずえ>:チャンネル桜・瓦版、朝日廃刊が日本を救う

2015-01-07 12:04:16 | 日本語が世界の公用語になる
    <一国一語主義こそ、世界帝国のいしずえ>

 世界中の先進国のほとんどが、アメリカ文明の亜流に留まっている中で、日本だけが、独自の文明類型を維持していることは、疑う余地のない事実であります。

 鉄道が、大量交通機関として機能しているか、いないかを見ただけでも、日本が欧米社会とは、まったく違った『文明類型』に属することは、明白であります。

 もうひとつの、日本が、独自の世界文明を築いた中心国である証拠は、外国および外国への、ほとんど完璧な無関心であります。 日本から、海外に出掛ける人の比率は、アメリカ(20%)よりも低く、8カ国(英国115%、ドイツ95%、カナダ70%、ニュージーランド40%など)で、最低の14%でした。

 また、長年にわたる、中学校からの英語教育にもかかわらず、日本人の英語習得力は、お世辞にも高いとはいえない。

 これは、当然すぎるほど当然のことなのです。 日本に生まれ落ちた人間は、外国語を、ひとこともしゃべれず、読むことさえできなくとも、高等教育の卒業証書を取るのに、ほとんど不自由はないし、国際情勢について完全な無関心を貫いても、日常生活に支障をきたすことはありません。

 外村直彦が、『脱欧入近代』で引用している、英語の実用性に関する試算は、非常に面白い。

 『…平均的な日本人が、一生のうち、海外で過ごす日数は、たった70日という計算になる。 しかも、韓国や中国という英語圏でない国を含めてである。 

 たった70日のために、なぜそこまで必死になって、英語を話せるようになりたいのか?』 

聡明な日本の大衆は、この事実を知っている。 おそらく、世界中で、大学教育の主要分野を、自国語だけ分かれば、受講できるようになっているのは、英語圏と日本だけでありましょう。 



 <日本語・書き言葉について>

2014-11-19 09:18:53 | 日本語が世界の公用語になる
  <日本語・書き言葉について>

 日本は、学問を行うことができるレベルにある『国語』を、近代の初めに確立することができた、数少ない非西洋国であります。

 そして、その国語でもって優れた小説が書かれましたが、その国語のレベルを維持することは、とても重要な課題だと思います。

 様々な歴史的条件に恵まれ、近代日本は、日本語という国語を作ることが出来ました。

 それを、日常会話と区別がつかないような書き言葉にして現地語化に退化させるのは、本当にもったいないと思います。
 日本語は、話し言葉としても書き言葉としても、日本にある程度の人口さえあれば、当然残るでしょう。

 ただ、このまま書き言葉を劣化させてしまうと、最悪の場合は『このbookをyour houseにbringします』というふうにもなりかねません。

 今は、米国が「覇権文化。」であるがゆえに、全世界で大衆は、アメリカ化している訳です。

 しかも若い教育を受けていない層ほど、グローバル化に無防備です。

 ただ、悲しいのは、日本では文部科学省や知識人までもが、国語の将来に危機感を持たず対策も立てていないことです。

 国語の教科書のあの薄さに、端的にその姿勢が表れています。

 古典のみならず、近代文学を持ちながら、学校でこれほど自国の文学を読ませない国は無いでしょう。



チャンネル桜・瓦版:<国語こそ、競争力>

2014-08-28 06:28:59 | 日本語が世界の公用語になる
 日本語の発達した要因は3つあり、1つは中国文化から遠かったこと、2つは江戸時代からの資本主義の発達、3つは西洋列強の植民地にならなかったことです。

 そこで、明治政府は、独立国である以上、行政も何もかも日本語でやるべきだということになりました。 ただ、明治維新までは、公文書はすべて漢語でした。
 
 つまり、私たちが使っている日本語はまだ存在しておらず、本当に日本語だけでやれるかの不安は大きかったそうです。

 それでも、西洋のシステムを導入するに従い、翻訳文化が盛んになり、日本語がどんどん近代的な社会で機能する言語、すなわち『国語』へと成長していきました。

大学の授業を日本語でできたことも重要でした。 植民地では絶対許されないですから。

 日本語は、こうして日本人の預かり知らない条件によって発達したのです。

 日本は、数多くの傑作を含め、世界でもまれに見る豊かな文学と歴史をもつ国語があるのに自分が「恵まれて。」いることを知らず、国語を大切にしようとする問題意識がありません。

 脳医学から見ると、英語と日本語では脳の動く場所が違うといいます。
 
 霊長類の個体認識や中間子理論の発見などは、西洋的な思考では出てこないといわれています。

 これが、日本語の持つ競争力であり、思考する際に戻っていく言葉としての日本語の習得に『最大』の重きを置くべきだと思うのです。