3/11 (金)
カタカタカタ・・・「地震じゃない?」 ガタガタガタ~~~いきなり横揺れ「大変!大きいね~!」
その時私たちは成田空港のレストランで食事中でした。
そうです、この日から楽しみにしていたLA旅行に出発することになっていました。
夕方の5時5分発ですが、早めに空港に到着して、スーツケースはチェックインして身軽になり、4階のレストランで食事している時に、その大地震は発生しました。
初めて経験するような大きなゆれに、椅子に座ってもいられずにしゃがみこみました。早く静まって欲しいと願いながら、その時はかなり長く~感じられ、厨房からはグラス類が沢山床に落ちて、割れる音が続き破片が飛び散っているのが視界に入り、怖さがつのりました。
揺れが治まってから、レジのお姉さんに震源地を聞くと、すぐにネットで調べてくれ、三陸沖とのこと。
三陸沖の地震が、成田でもこの大きなゆれということは、東北地方はどれだけ大きかったことかと愕然としました。友達が仙台に住んでいるのよ~大丈夫かしら?
ショッピング街はどこの店も商品が床に散乱して、シャッターを下ろして整理を始めていました。
大きなテレビ画面の前では、地震のニュースにみんなが釘付けになっていました。
その時再び大きな揺れが来ました。みんな座席の下にもぐりこみ、揺れが治まるのを待ちました。
全員外に避難するように、退去命令が出され、乗客も従業員もなく全員が外に避難を始めました。
全員が地上の駐車場に誘導され、集まり始めました。
携帯電話で、息子に電話しても繋がらず、やっぱり緊急のときは携帯電話は使用できないのを体験しました。
比較的この日は暖かくて、外に避難をしても寒くないのが幸いでした。
でも夕方になり、陽が傾いてくると徐々に気温が下がり始めました。
外のトイレに行ってみると、長蛇の列ができていました。この列の最後に並び待つしかありません。
建物内のトイレには入れてもらえないので、しょうがないです。 まるで避難民のようです。
トイレに入るのに、待ち時間が3・40分かかりました。
そうこうするうちに、南ウィングの一階のみが開放になりました。時間はたぶん夕方5時半ごろだったと思います。
当然何事もなければ、飛行機はすでに飛び立っている時刻でしたが、4階の出発ロビーは立ち入り禁止なので、飛行機は飛び立つことができない状態です。
テレビで情報がわかる場所に移動して、なんとか椅子を確保しちょっと安堵しました。
空調も止まっているので、徐々に足元から寒くなってきています。まだこの頃は遅くなっても飛行機は出発できると思っていました。
それがです、7時ごろだったでしょうか、すべて出発便はキャンセルと発表になりました。
それは大変、すぐにチケットを変更しなければ~、ANAのサービスカウンターに行き、チケットの変更をお願いすると、予約センターに電話で予約するように言われました。
携帯電話は繋がらないので、公衆電話に並びました。まだ電話の列は10人位で電話は5台ですが、みんな家族の安否の情報のやり取りで時間がかかっています。
ようやく私の順番になりましたが、予約センターは話中で繋がらず、10回位コールを辛抱強く繰り返したら、何とか繋がったけど、機械音のアナウンスで肉声のアナウンスに変わるまで、しばらく待つことになります。
後ろに待っている方々、「ごめんなさい」ここで諦める分けにはいかないの。
しばらくして予約センターの方と話すことができました。
一番早い便の予約変更をお願いすると、早くても14日(月)になりますとのこと。土日はすべて予約で満席とのことでした。
いったん家に戻って、14日に出直すことになりますが、それでお願いすることにしました。「ホッと安堵」です。
LAで待つ娘に連絡をしなくては~~
実は私の携帯電話は10日に職場に忘れてきてしまって、「携帯忘れているから、預かっておきますね」と連絡いただいたので、お願いしていたのです。
まさかこんな事態が起こるとは、夢にも思っていなかったので・・・取りに行けばよかった・・・
でも夫の携帯があるから、いいと思っていたら、私の友人の登録がされていないので、誰にも連絡が取れないのです。困った・・・
娘のアドレスは分かっていたので、携帯電話からE-mailすることが出来ました。でもこちらからのメールは送信できたのに、娘からのメールが来ないのです。
空港周辺の無線が混乱しているようです。真夜中にメールチェックすると、何通かまとめてきていました。
あちらでもかなり心配したようです。
テレビから流れるニュースは信じられないような光景でした。みんな画面に釘付けです。
寒くなってきたころ、水と寝袋が配られると聞き、夫が確保してきました。夜はこの寝袋で寝ることになるとは~ でもこれで寒さがしのげます。
非常食が配られるとのことでしたが、夫が行った時はすでになくなっていて、確保できませんでしたが、幸いなことにお隣の若い男性が、私たちの分も確保してきてくれました。「ありがとう、助かりました」
缶を開けてみると、やわらかいパンが出てきました。缶パンです。昔の乾パンとは違いオレンジ味で美味しく食べられました。
このパンを夫と半分づつ、カロリーメイトも半分づつと水が夕食でした。
でも貰えない人もかなりいたので、貰えただけ良しとしましょう。成田空港も開港以来こんなことは初めてだったそうです。
ここで夜明かしする人々は1万人以上はいたでしょう。出発する人、到着したけど荷物を受け取れないし、帰ることが出来ない人。到着する家族をお迎えに来た人たち。
でも肝心の家族は他所の空港に変更になったと嘆く人たちもいました。小松空港、千歳空港等・・・
3/12 (土)
うとうとしただけでまんじりと眠れない夜が明けてきました。
明け方公衆電話が使われなくなったころ、娘とようやく話をすることが出来ました。緊急時は有線電話がありがたいです。
この日はスーツケースも返却になったし、家に帰るつもりでした。
ところが成田空港周辺の交通事情がまるで機能していないことが分かりました。
都心の地下鉄やJRなどが徐々に復旧しはじめたのに、高速道路が駄目なのでリムジンバスはすべて運休、頼みの京成電鉄も復旧の見込みなし。
「まさか家にも戻れないの?」
でもよく考えてみれば、満席だという今日の飛行機にも乗れない人たちが、逆に沢山いると気がつきました。
ANAカウンターに問い合わせると、その日のチケットを持っている人が最優先、その次に前日の予約がありキャンセルになった人たちが優先となるとのことです。
家には帰れないけど、頑張れば空席待ちで飛行機に乗れるかもしれないと希望が出てきました。
息子たちとも携帯電話が繋がるようになり、お互いに安否を確認することが出来ました。
2時半には空席待ちの状態が分かるという事なのに、3時半になってもはっきりせず、結局5時5分発の飛行機に乗れると言うことが分かったのは、4時半頃でした。
それから娘や息子たちに連絡を取り・・・慌しく出発することになりました。
結局飛び立ったのは2時間近く遅れて、夜の7時ごろになりました。
2日間かけて、ようやくこの飛行機に乗ることが出来ました。それにしても我が家も心配だけどたぶん大丈夫でしょう?(と思いたい)
飛行機の中ではいつも眠れたためしがないのに、前日寝ていないのでぐっすりと眠ることが出来、いつもより疲れないで無事到着することが出来ました。
LAの空港には、娘とレックスが笑顔で出迎えていました。 これで来た甲斐があるというものです。
LAXに降り立つといつもの甘い香りが漂っています。そしてピンクの桜も満開に咲いていました。暖かいです。
空港のシンボル、エンカウンターの白さと青空が眩しい、2日間かけて訪れた LA、こちらは何事もなく静かです。
娘から頼まれた荷物などすべて無事に持って来ることが出来ました。
諦めていたこの日の夕方からの、金婚式のパーティーにも出席することが出来ることになりました。それはまた後日~
仙台の姫、無事でしょうか? 心配しています。無事でしたらメールください。こちらでアドレス分からないけれど、メールくだされば返信が可能です。
岩手にスキーに行かれた後藤様、12日お帰りの予定でしたね。ご無事でしょうか? とても心配しています。
さいたま市の友人の皆様、ご自分の家は大丈夫でしたか?
こちらでもネットで情報はチェックしています。時間制限の停電をするとか大変なことになっていますね。
そして通勤や通学の足、電車の運行状態もどうなのでしょうか? 遠くにきてしまって、日本が心配で心配で~
こんなすごいことになるとは、被災された皆様のご無事を遠くから祈っています。