▼感慨よぎった修了式
「それではお手を拝借。ヨーオッ」。三遊亭遊馬師匠の威勢のいい掛け声を合図に、全員で三本締め。落語の学校、花伝舎の第15期は9日夕、発表会のあと無事、修了式を終えた。11期から受講しているぺん太にとって修了式はこれが5回目。だが、今回だけは感慨がよぎった。
次回の受講はかなわない、との思いからである。花伝舎は落語芸術協会(桂歌丸会長)の関連団体で、落語の普及が目的。このため、なるべく多くの人たちに受講の機会を提供したい考えだ。初級の後の中級では、連続4回までの受講が限界とされている。この基準からすると、次回の受講資格はおそらくない。あとは独自に稽古をするだけである。
▼初高座は頭が真っ白
落語の学校の門をたたいたのは昨年5月28日。その時のブログを振り返ってみると、「未知への期待でワクワクしている」と素直に記してある。さらに、「噺家が演じる場をなぜ“舞台”と言わず“高座”と言うか、などについて説明を受けた」。文字通り「落語」という未知との遭遇への期待である。
扇子の扱い方も分からなかった。稽古で初めて高座に上がった時は、覚えたはずの噺がひと言も出なかった。前の人が上がってしまいボッとなったのを目の前で見たせいで、頭が真っ白になり、わけが分からなくなった。師匠が「どうしました?大丈夫ですか」と言って、「牛ほめ」の噺の糸口を付けてくれ、やっとわれに返り、しゃべりだしたことを憶えている。
▼師匠の指導に感謝
懐かしい思い出である。「牛ほめ」からはじまり、「粗忽長屋」「大工調べ」「蔵前駕籠」「手紙無筆」、それに今回の「宿屋の富」まで演目も6つに増えた。落語の「ら」の字も知らなかった者が、今では生意気に、人前で一席うかがえるようになったのも、山遊亭金太郎、桂小文治、平治師匠らのおかげである。
ズブの素人の私たちと真剣に向き合い、本当によく指導してくれた。ありがたく、感謝している。発表会のこの日も、小文治師匠から「宿屋の富」について貴重なアドバイスをいただいた。ほんのちょっとした違い。その微妙な「違い」が私たち素人には分からない。同じようにやっているつもりでも、どうして違うのだろうか、と常に感じている。そんな点を細かくアドバイスしていただいた。
▽宿の主人の挨拶は、もっと表情をにこやかに▽(カネと富札を同時に交換しているように見える)一分銀の受け取り方はまず、もらったカネを袂にしまい込み、その後で富札を渡す▽「金が余って困ってんだよー」と言う言葉は、主人の姿が見えなくなるのを見届けてから、正面を切って、「ハアー」、とため息をつく▽「当たらねえもんだなー」の嘆きは、もっとしんみりと▽当たりが分かった時、下を向かないで正面を切って顔を客席に見せる▽サゲはあせらないこと・・・。
▼24時間落語漬け?
落語の学校担当の事務局、関さんから「1日のうちで落語に割く時間はどのくらいですか」と聞かれた。「24時間全部です」と応えたら、笑っていた。これは少しオーバーだが、寄席など落語の鑑賞、落語仲間との連絡や打ち合わせ、ボランティアのまねごととして実施している出前寄席の段取り、出演者の交渉、落語ブログの作成、それに大事な稽古とくると、相当な時間を割いていることは間違いない。
それほど落語は私にとって大事な部分を占めている。以前の勤め先の仲間が、「楽しそうで、生き生きしている」と羨ましがる。知り合いの医師に落語を習っていると話したところ、「大変いいことです。止めてはいけませんよ」と言われ、「うちの病院でもやってくれないか」と声を掛けられた。
▼落語で人生変わった
落語仲間の多くが言っている。「落語と出会って、人生が変わった」。本当である。私も同感だ。とにかく楽しくてしょうがない。落語を聴くたびに愉快で、「この噺も覚えてみたい。あの噺もやってみたい」と前のめりになる。
そんな私たちの後押しをしてくれた師匠のみなさんにもう一度、申し上げたい。本当に、本当にありがとうございました。
「それではお手を拝借。ヨーオッ」。三遊亭遊馬師匠の威勢のいい掛け声を合図に、全員で三本締め。落語の学校、花伝舎の第15期は9日夕、発表会のあと無事、修了式を終えた。11期から受講しているぺん太にとって修了式はこれが5回目。だが、今回だけは感慨がよぎった。
次回の受講はかなわない、との思いからである。花伝舎は落語芸術協会(桂歌丸会長)の関連団体で、落語の普及が目的。このため、なるべく多くの人たちに受講の機会を提供したい考えだ。初級の後の中級では、連続4回までの受講が限界とされている。この基準からすると、次回の受講資格はおそらくない。あとは独自に稽古をするだけである。
▼初高座は頭が真っ白
落語の学校の門をたたいたのは昨年5月28日。その時のブログを振り返ってみると、「未知への期待でワクワクしている」と素直に記してある。さらに、「噺家が演じる場をなぜ“舞台”と言わず“高座”と言うか、などについて説明を受けた」。文字通り「落語」という未知との遭遇への期待である。
扇子の扱い方も分からなかった。稽古で初めて高座に上がった時は、覚えたはずの噺がひと言も出なかった。前の人が上がってしまいボッとなったのを目の前で見たせいで、頭が真っ白になり、わけが分からなくなった。師匠が「どうしました?大丈夫ですか」と言って、「牛ほめ」の噺の糸口を付けてくれ、やっとわれに返り、しゃべりだしたことを憶えている。
▼師匠の指導に感謝
懐かしい思い出である。「牛ほめ」からはじまり、「粗忽長屋」「大工調べ」「蔵前駕籠」「手紙無筆」、それに今回の「宿屋の富」まで演目も6つに増えた。落語の「ら」の字も知らなかった者が、今では生意気に、人前で一席うかがえるようになったのも、山遊亭金太郎、桂小文治、平治師匠らのおかげである。
ズブの素人の私たちと真剣に向き合い、本当によく指導してくれた。ありがたく、感謝している。発表会のこの日も、小文治師匠から「宿屋の富」について貴重なアドバイスをいただいた。ほんのちょっとした違い。その微妙な「違い」が私たち素人には分からない。同じようにやっているつもりでも、どうして違うのだろうか、と常に感じている。そんな点を細かくアドバイスしていただいた。
▽宿の主人の挨拶は、もっと表情をにこやかに▽(カネと富札を同時に交換しているように見える)一分銀の受け取り方はまず、もらったカネを袂にしまい込み、その後で富札を渡す▽「金が余って困ってんだよー」と言う言葉は、主人の姿が見えなくなるのを見届けてから、正面を切って、「ハアー」、とため息をつく▽「当たらねえもんだなー」の嘆きは、もっとしんみりと▽当たりが分かった時、下を向かないで正面を切って顔を客席に見せる▽サゲはあせらないこと・・・。
▼24時間落語漬け?
落語の学校担当の事務局、関さんから「1日のうちで落語に割く時間はどのくらいですか」と聞かれた。「24時間全部です」と応えたら、笑っていた。これは少しオーバーだが、寄席など落語の鑑賞、落語仲間との連絡や打ち合わせ、ボランティアのまねごととして実施している出前寄席の段取り、出演者の交渉、落語ブログの作成、それに大事な稽古とくると、相当な時間を割いていることは間違いない。
それほど落語は私にとって大事な部分を占めている。以前の勤め先の仲間が、「楽しそうで、生き生きしている」と羨ましがる。知り合いの医師に落語を習っていると話したところ、「大変いいことです。止めてはいけませんよ」と言われ、「うちの病院でもやってくれないか」と声を掛けられた。
▼落語で人生変わった
落語仲間の多くが言っている。「落語と出会って、人生が変わった」。本当である。私も同感だ。とにかく楽しくてしょうがない。落語を聴くたびに愉快で、「この噺も覚えてみたい。あの噺もやってみたい」と前のめりになる。
そんな私たちの後押しをしてくれた師匠のみなさんにもう一度、申し上げたい。本当に、本当にありがとうございました。