扇子と手拭い

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知らなかった寄席発祥の地(落語2-16)

2010-11-13 21:52:00 | 日記
▼「稲荷町」に懐かしさ
 地下鉄の車内広告で下谷神社の落語会を見た。この神社が江戸の寄席発祥の地だと初めて知った。林家彦丸、林家正雀さんらが出演して木戸銭が1000円。12月5日。場所は地下鉄稲荷町駅から徒歩2分だという。「稲荷町」と聞き、懐かしさも手伝って早々に聴きに行くことにした。

 上野・浅草通り神仏具専門店会が主催するこの落語会。定員は100人。ところが、手元に届いた申し込みの番号は1040。改めて抽選でもやるのかと尋ねたら、「大丈夫」と返事してくれ、ひと安心。

▼「寄席発祥の地」の石碑
 下谷神社といえば毎年、5月の例大祭に繰り出す千貫神輿が有名だ。「ソイヤ、ソイヤ」の威勢のいい掛け声につられて、全国から祭り好きが集まる。この時期、浅草の三社祭と並んで、東京に夏の訪れを告げる風物詩である。

 境内には「寄席発祥の地」の石碑が建立されているというので、落語会に行った時、見てみたい。何でも、寛政10年(西暦1798年)に初代三笑亭可楽によって、江戸で初めて寄席が開かれた場所だそうだ。勉強不足で知らなかった。

▼木造の四軒長屋の棟続き
 落語つながりで言うと、昭和の名人の一人である林家彦六師匠が、この近辺に長く住んでいたのを憶えている。若いころ、仕事で上野・浅草の第6方面担当だったので、いまでも憶えている。木造の四軒長屋の棟続き。どの家も夏はすだれをたらし、打ち水を欠かさなかった。この景色、盛夏にも見ているだけで涼を呼んだ。

 それぞれの家の前には季節の花や、緑の葉をたわわにした鉢植えが並び、心安らぐ下町の風情が漂っていた。こういう場所で暮らしていた噺家だから、熊さん、八っつあんの噺も生き生き伝えられたのだろう。噺に生活感が漂っていた。懐かしい棟続きの長屋も今は姿を消した。

▼稲荷町!待ってました
 そう言えば、彦六師匠は「稲荷町」の称号で呼ばれていた。「菖蒲浴衣」の出囃子が鳴ると、客席から「イヨッ、稲荷町!待ってました」、と声がかかったという。同様に、八代目の桂文楽師匠は「黒門町」の愛称で親しまれていた。こんな風に呼ばれるのは、大御所の証でもある。

 「稲荷町」「黒門町」「人形町」。昔の人は粋な町名を付けたものだ。「1丁目1番地」ではこの空気感が波打って来ない。「稲荷町」・・・。この響き、何とも言えないねえ。