扇子と手拭い

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ゴマカシを見抜く鋭い客

2016-01-05 00:01:31 | 落語
 高座に上がって落語をしゃべりながら、途中で笑う者がいる。落語で笑うのは客であって話し手が笑っては落語にならない。

 アマチュア落語家の中にはかなりの年季が入った連中にもこの手がいる。自分で笑うのは照れ笑い、一種のごまかし。落語がキッチリ「腹に入っていない」場合が多い。

 話し手が自分が落語を話していて高座で笑うなんてことはない。どうしてかというと、高座に上がる前に今回しゃべる演目を繰り返し散々、稽古するからだ。

 だから落語仲間が集まって稽古をしても、聞く側はほとんど笑わない。それどころか「滑舌は? セリフの語尾は聴き取れるか?」「カミシモは間違いないか?」「間はしっかりしているか?」などについて、耳と目を話し手に集中して聴いている。

 あたしが稽古をつけてもらった師匠の口ぐせは「稽古100回。何も考えず、空でもセリフがポンポン出てくるようでなくては、高座に上がってはならない。落語を腹に入れろ」だった。

 一端、高座に上がったからには、素人も、玄人もない。みな噺家だ。お客は「落語」を聴きに来ているのだ。生半可な気持ちで落語をやるなどもってのほかである。

 客はよく知っている。噺をろくすっぽ覚えてないで照れ笑いでごまかそうとすると、ちゃんと見抜く。後で「誰それはあそこでしくじったね」と一声かかる。こんな厳しい客がいて、アマチュア噺家は育てられるのである。

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